松江に帰省中のmputさんが会社に遊びに来てくださる。
timitidytimidityのプロジェクト管理の話など、興味深い話をたくさん聞く。
やはり、どこのプロジェクトでも同じような経験をするのね、とか思ったり。
でも、私が中心になっているRubyと集団管理体制のプロジェクトでは、また違った側面もあるようだ。 それとsourceforge遅いとか。やはり自前で用意する方が良いのか。compile farmだけはうらやましいと思う。
仕事柄、年に2,3度海外に行って、Rubyについて話したり、議論したりする。 また、毎日のように英語のメールを書いているわけだ。
にもかかわらず、私の脳にはすべて日本語で記憶される。
日本に帰ってから「こんな話をしたよ」と説明していると、 「で、それ英語でどう表現するの」と聞かれると答えられなかったりする。 どうも短期記憶から長期記憶に移行する時に自動的に翻訳されるらしい。
だから英語が上手にならないんだ。
記憶と言えば、私は歌の歌詞を覚えることができない。 メロディーはすぐに覚えるんだけどなあ。
今日のテーマは「安息日」。さっそく先週の経験をネタに、 安息日の重要性、戒めを守ることによる祝福、懸命であること、 盲順は賢明でないことなどを話した。
集会終了後、「話し方講座」の講師を務める。 プロでもないし、プロジェクターにも嫌われる私ではあるが、 まあ、場数は積んでいるので参考になることもあるだろうと引き受けた。 いかに準備するかとか、「するべきこと」、「してはいけないこと」などをリストアップしたり、 いろいろと情報を提供してみたつもりだが、お役に立てたかどうか。
その後、監査とかしてから帰ったらすっかり遅くなってしまった。
寝不足でしんどい。そのまま寝てしまう。
夏休みを取って、島根県立三瓶自然館サヒメルへ。しかし、なんで「サヒメル」なんて名前がついてるんだろう。
ここではホンモノの月の石が展示されているのだ。 もちろん外見はただの石なわけだが、せっかくの機会なので。
その他にもプラネタリウムを見たり、宇宙服(のレプリカ)を着てみたり、 埋没林を見学したり。充実した一日であった。
埋没林というのは3500年くらい前に三瓶山の噴火で林がまるごと火山灰に埋まってしまっていた ものが、ここ10年くらいで学術的な意義が認められて発掘されたものである。 学術的にも見ごたえがあったが、展示が秘密基地みたいでわくわくした。
あと、デジカメ写真の手ブレが多くて難儀した。 手ブレ防止機能のあるデジカメが欲しくなったなあ。
オープンソースラボでの初の勉強会。
前田くんが講師でRails入門について。 結構な人数が集まっていた。25人?
中には「市職員です、なにも分かりません」というような サクラっぽい人もいたのだが、 一方では「市職員です。得意技はEmacs Lispです」というような人もいて 油断ならない。
お初にお目にかかる人もたくさん。 で、私もRails勉強しようか、と思っていたのだが、 preview5に向けて内職することがたくさんあって、 結局「いるだけ」で終わってしまった。
まつもとさん、内職しすぎです。
「世界で通用する人」は、日本でも、あるいは世界中のどこでも発生しうる。 別にどこでなければならないということは(あまり)ない。
しかし、...という話。
「世界に通用する人」がどこで暮らす必要があるか、だ。
かつて「世界で通用」するためには、最も大きな市場に自らをおかねばならなかった。テニスならウィンブルドン、そして工業製品では合州国、というわけである。場合によっては人だけではなく工場すらそうする必要があった。車がその典型で、今や日本車は日本以外の国で作られる台数の方が多い。
ところが、今や「世界で通用する人物」は、自分の好きな「田舎」にいながらにして、「ウィンブルドン」に出向く事なく勝負できる時代が来ている。前に紹介してここでもう一度紹介している"The World is Flat"の指摘で最も重要なのは、この一点なのである。
ま、それはそうだよな。もう空間的位置はさほど関係なくなってきている。
と、思っていたら
その点、Matzさんはまさに傑物2.0なのだろう。
私の周辺(ちょっと下の世代かな)は、アメリカ留学したがる人が多くて、 実際に行った人もたくさんいるのだけど、 私自身は今までの人生で一度も、アメリカで勉強したいとか、 仕事したいとか、考えたこともなかった。Matzさんは、合州国どころか東京に「進出」することすら考えていない。考えていなくてもちゃんと世界に通用している。なぜそうなのかと考えると、Matzさんにとって島根が充分「ゆたかな」場所だったからだろう。なんといってもNaClという職場があるのは大きい。
私が登場してしまう。
私のようなのが例になってしまうってのは、 結局そういう生活をしている人の層がまだまだ薄いってことなんだろうな。
田舎暮らしも悪くないっすよ。
「感情的になってしまう」ってのは時々あるな。
他の分野で自分を制御するのはそれほどでもないのだが 子育てではどうにも難しい。 私がかかわってきた他のあらゆる活動と一線を画しているような気がする。
それだけ子育てを通じていろいろなことを学ぶことができるということなのだろう。
いっぱいいるしな。
Sony内部でのソフトウェア技術者向け講演会。 演者は私と青木淳さん。
組み込みについてはあまり知識がないので、 私の知っている範囲の現状についていろいろと話をしたのだが、 通じたのだろうか不安である。
テレビやデジカメに組み込まれるソフトウェア開発にRubyを使え、 というわけには行かないだろうし。そもそも、ソフトウェア開発の自由度は相当低そう。
しかし、ハードウェア性能は向上してるし、 組み込み分野でもLinuxの普及が進んでいるようだから、 Rubyとは言わないまでも、もうちょっと動的で高級な言語を適用するというのは 十分アリな選択になりつつあるのではないだろうか。
上手に実装すればトータルのプログラムサイズを減らすことも可能だと思うし。
組み込み向け動的言語というのはまだ研究されていない面白い分野かもしれない。
講演料とは別に、デジカメ(DSC-T20)をいただいた。 びっくりするととともに、さすがソニーだと感心する。 今日の出席者の中にはこれを作った人もいたかもしれない(少なくともBRAVIAを作った人はいた)。
手ぶれ防止から顔認識まではやりの機能をきちんと抑えている810万画素デジカメ。 ただ、モード選択の簡単さや設定項目の多さ(だけ)は今まで使ってたEX-Z600の方が上かな。 高感度モードへの切り替えがちょっと難しかったり、起動時のロゴが消せなかったり。
いずれにしてもありがたい。
最近、MicrosoftはOSIにライセンス承認を求めたが、 OSIのボードメンバーでもあるGoogleのOSS担当Chris DiBonaが Microsoftを非難して承認に反対した、という話。
が、shared source全般はともかく、今回承認が求められた permissive licenseはOSDを満たしているので、 承認しない理由はないと思う。
ライセンスそのものと直接関係ないMicrosoftの行為を 「オープンソース的でない」として非難するのであれば、 れっきとしたオープンソースソフトウェア(たとえばLinux)を改造して 使っていても、再配布していないと言う理由で公開していないGoogleも 同じくらい「オープンソース的でない」のではないか、と。
Pythonのバグトラッカーがsourceforgeからroundupへ変更になる、という話。 PHP(sourceforge)からPerl(roundup)へ移行というのが興味深い。
Rubyのトラッカーも変更したいんだけど、 なんかピンと来るのがないんだよねえ。
追記:
roundupはPythonでした。確認を怠りました。 すみません。
ScalaはJVM上の言語としてJavaのライブラリにアクセスできるという「メリット」があるが、 ScalaとJavaでは言語としての性質がずいぶん違うので、Javaのライブラリが使えてしまう ということは実は言語を歪めてしまうのではないか、という話。
まあ、言語の魅力はライブラリに依存する部分は大きいわけで 言わんとすることはわからないでもない。 聞くところによるとScalaは結構がんばっているみたいだけど。
JRubyにも同じことが言える。あまりJavaライブラリへのアクセス性を強調していると いつのまにかRubyの良さを失ってしまうような。JRubyはRuby由来のライブラリが厚いから あまり心配することはないかな。