ゴールデンウィーク進行で〆切が早まっていたのだが、 先日の病院騒ぎで2日ほど遅れてしまった。
今月のテーマはcomp.lang.rubyでも話題になっていたInstiki。Instikiが内部で使っている
について。特にMadeleine(あるいはObject Prevalence)について解説してみた。
A.Tさんからのツッコミより。 オリジナルの英文はこちら。
これらの主張をまとめると、こんな感じか。
ごもっとも。(1)と(2)については「確かにその通り」と私も思う。
でも、Ericはインタフェースの専門家ではないし、 ユーザインタフェースに対する深い見識を彼に期待するのはどうかと思う。 彼が優れているのは、ハッカーという「人種」への見識であり、 彼の功績はハッカーの気持ちとそのやり方の価値をハッカーでない人に伝えたことである。 ユーザインタフェースに詳しいからでも、 優れたソフトウェア開発者であるからでも、 優れたプロジェクトリーダーであるからでもない。
さて、(3)だ。同じ「オープンソースは素晴らしい」という言葉を聞いても、 受け止め方は人によってさまざまだ。 が、オープンソースについて実際に関っている人は、一部の人が持っているような 「オープンソース開発体制はいかなる点でもプロプライエタリな開発体制よりすぐれている」と 思っている人はいないと思う。
現実には「多くの人にはオープンソースというやり方は信じられないかもしれないけど、 思ったよりも良いものができるんだ」というのが、 その意味するところではないだろうか。
もし、「コストはいくらかかってもかまわないから良いものが欲しい」のであれば、 良いものを得るために直接金を払う方が優れたものが得られるに決まっている。 プロプライエタリな開発体制の方が進歩が速いのは、考えなくても当然のことではないだろうか。
重要なのは以下の点だ。
この「素晴らしさ」の前には、進歩の遅さなど気にならない、という人もいるだろう。 かくいう私もその一人だ。 オープンソースはカメである。ウサギの論理で測れば劣っているところもたくさんあろう。 だが、キーワードは「good enough」である。
追記:
「バカが征く」で述べられていたような、 『クローズドソースであり、フルタイムのエンジニア達で なければ優れたUIを持つソフトウェアは作れない』という主張を原文から読み取ってはいけないのではないかと思う。 彼の主張は
オープンソース革命は結局、最も直感的でベストなデザインのソフトはフルタイムで働くエンジニア達によるクローズドな商用ソフトにあるという事実を覆すに至っていない。
つまり、「商用ソフトの方が(進歩が速いので)ベストの追求に向いている」であり、 「オープンソースには良いUIのソフトウェアが作れない」ではない。 そのように読み取るのは「ベストの追求こそ全て」のウサギの論理に巻き込まれることになってしまう。