朝5時までかかって書きなぐる。Lightweight Languageの定義なんて数行で終わりそうなテーマで 3ページぶんも書くために、LL1の話題から始まって、プログラミング言語50年の歴史を最初からたどった上、 100年後の未来の言語を夢想するという怪作。
あんまりにも怪作なんでちょっとは見直した方が良いかなあ。 それともこの勢いを大切にした方が良いか。
追記
「LLについて語る時の参考文献になる」というのは おおげさだと思いますが、少々毒を弱めて入稿しました
最近オープンしたという「鳴滝温泉満天の湯」という施設にいく。 年末年始特別料金というのは商売熱心なことで。
露天がたくさんあるのが楽しい。10種類くらいか。息子ともどもあちこち入って回る。 すっかり温まった。
早くから印刷していたのに、結局今日まで投函しなかった。
やはり手書きのメッセージを書き加えたいという妻のリクエストと、
住所の確認などに手間取ったからだ。結局住所の間違いがひとつ、
名前の感じ漢字が違っていたものがひとつあった。
たかはしさんの「ただ、風のために。6」より。
こう言うとまつもとさんは納得しなさそうですが、 PHPにしろRubyにしろ、2万フィート上空から俯瞰すれば同じスクリプト言語、あるいはLightweight Language(LL)で、そんなに変わらないんじゃないかと思うわけですよ(やっぱり納得しなさそう……)。
いや、十分納得しますよ。私が言語を比較してどうこう言っても、外部からみれば「コップの中の嵐」であることは最初から自覚しています。 これはyooseeさんのツッコミに対しても同じことが言えます。
ドキュメント・ユーザ・利用例が多い、とにかくとっつきやすい(HTML に数行足せばWeb上で動くものが作れる)、始めに覚えることが少ない(基本がオブジェクト指向ではない事も多分大きい)、と言うあたりで初めてWebシステムを作る人が最初に使い始めて、その後乗り換えるほどのモチベーションを他の言語から受けない、と言うあたりだと思うので、純粋に言語の優劣を語っても個人的にはあまり意味がない気がします。
とはいえ、そういう大局的な立場から公正な見地の意見を述べてもあんまりおもしろくないわけです。むしろ、他人から見たらめちゃめちゃ些細な「意味がない」ことを真剣に論じるというのが、この「Matzにっき」のスタイルではないだろうか、と自覚しているわけです。
また、そういう「些細な違いが大きな違いを生む」というのは、Rubyのデザインポリシーでもあります。 「些細な違いは重要ではない」とか「意味がない」とかで、切り捨ててしまうのは、 他の人にお任せして、私はこのやり方を突き進んでいくのがよいのではないかなあ、と。
息子と二人で床屋に。しっかり短くしてもらった。サイドが短すぎて「のびた」くんみたいになったような気がする。
病気とかで引き延ばしていた年賀状の準備。
KreetingKardとかを使いたいところだが、 準備時間がとれず妻のPCにプレインストールされていた 「筆ぐるめ」を使うことに。
昨年同様、負けた気がする。
Bruce Eckelの記事への返歌。
Pythonコミュニティは「これこそが正しいやり方」と主張するが、RubyコミュニティはMatz自身が「Ruby Sucks」とRuby批判を述べたりする、という性格の違いを述べている。
(のだが、このエントリを書いている2006年1月2日現在、この記事、O'Reilly Ruby Blogから読めなくなっている。削除されたか?)
昨日、「筆ぐるめ」で作った年賀状を投函。少々遅いが。
ここでフリーソフトウェアだけで完結できないのが悲しいところだ。 数年以内になんとかしたいところ。
KleetingKardとか結構いい線行ってるんだけどなあ。
オープンソースについて2006年を振り返る、という話。 Rubyのことが結構大きく取り上げられていて驚く。
そういえば、2006年はRubyがたくさんの人に届いた年であったなあ。 私自身はそれについて特別になんの活動もしていないんだけれど、 他の人たちが一生懸命頑張ってくれたおかげかな。
今年後半は私自身も露出が多くて、
は特にインパクトが大きかった。なんか何年も会ってなかった友人から電話があったり、 あちこちの親戚から「読んだよ」と言われたり。
非常に恥ずかしい一年でもあった。
RedHandedも今年を振り返る言葉を掲載している。
Lispについてのよくある誤解と、その中にあるちょっとした真実、の話。
具体的には以下の疑問への答え。
やっぱLispってネガティブな方向に誤解されやすいわ。
でも、なんでだろう?
歴史学者によると、知られているもっとも古い宗教儀式は蛇(Python)を礼拝するものだ、という話。
やっぱPythonって根強いわ。