Artimaインタビューの3回目。 コードを読むことについても言及している(のはCode Readingを意識したんだったか)。
なんか自分の話したことが正しい英語になっているのが変な気分。 実際は相当ブロークンな英語で話してました。
年末の買い物。妻と防府のサティへ。防府へ行くのは何年ぶりか。 道とか完全に忘れていてショックを受ける。毎日あちこち回ったのに。
妻がアクセサリをいくつか。遅れたクリスマスプレゼントということにする。
帰りにヤマダ電機に。USBキーボードが安かった(890円)ので購入。 これでU101の極小キーボードに苦しまないでCygwinできる。 しかし、キーボードが本体の2倍のサイズがあるってのはどうよ。
年越しそばを食い、紅白歌合戦を見ながら、うとうとする。 LL Magazineの原稿が終わったから気が抜けているのだが、 『CODE Reading』はまだまだだ。「みなし年内」で作業せざるをえないか。
子供たちは近所の寺に除夜の鐘を衝きに行く。ついでにぜんざいをご馳走になり、 菓子をもらったそうだ。彼らは煩悩とか宗教的意義はまったく理解していないに違いない。
私は『CODE Reading』の原稿を見直しながら年越し。2004年もコンピュータ漬けは決定かな。
2003年はRubyの発展の年であったと思う。より多くの人がRubyを知るようになったし、 より洗練された1.8もリリースであった。 また、この『Matzにっき』もそれなりの数の人に読んでもらっているようで、 これによってプレゼンスが向上したような気もしないでもない。
来年はどんな年になるだろうか。
2004年もいろいろありました。まつもと家の10大ニュースといえば、
みなさんのところではいかがでしたでしょう。 2005年はどんな年になるでしょうか。
OOPSLA 2005の論文集を読んでいたら以下のような論文を見つけた。
Classbox/J: Contolling the Scope of Change in Java
Alexandre Bergel et al.
これはJava版だが調べると(例によって)Smalltalk(Squeak)上に実装した Classboxについて述べた論文[PDF]もあるそうだ。
ざっと読んだ限りでは、以前からRubyに欲しいと思っていた機能のように思える。 selector namespaceよりも包括的で有効な機能のような気がする。
懸念される点は性能(Smalltalk上のナイーブな実装でメソッド呼出し時間が40〜60%増)だ。あと多重継承(Mix-in)のある状況にどう適用させるかも検討する必要がありそうだ。
それと、Classboxって名前もあんまり気に入らない。かっこよくない気がするなあ。
メモリ関係の症状が悪化した。 数十分も使っているとハングする。 日常的な作業はできそうにない。
Webやメールは他のPCでもできるが、 開発レポジトリへのアクセスや sshの鍵などがPCにあるから、Rubyの開発はとうぶん滞りそうだな。
正月明けたら修理に出そう。 結構かかりそうだなあ(泣)。
年末忙しかったり、病人がいたりで、変則的に土曜日になってしまった。
今回は「あなたを好きな理由」というテーマで、 家族それぞれの良い点を列挙するという活動を行った。
自分に対してもいろいろと書いてあったのだが、 一番うれしかったのが「公平」と書いてあったことだ。 もちろん私がいつも公平を保っているわけではないのだが、 そうありたいとは願っていて、 その点を見てもらえていたのはとてもうれしかった。
大晦日だからといって、なにか特別な礼拝行事を行うわけではない。 数年前、元旦が日曜日だった時には普段3時間あるプログラムが1時間で終わったことがあったな。
普段通りの集会。 ただ、他の人を待ったりしてたので、 帰るのはいつもよりもずっと遅くなってしまった。
だいぶくたびれたので今日はおとなしくしてよう。
おおむね動くようになったのだが、 残りの作業を。
Xの外部ディスプレイ出力。xrandrを使った動的な設定も可能なのも分かったが、 実際、そんなに使いそうにないんで、/etc/X11/xorg.confを以下のように設定。
Section "Device" ... Option "MonitorLayout" "NONE,LFP+CRT" Option "DevicePresence" "true" EndSection
これでおおむね無事に動作。
意外だったのはSDスロットが使えたこと。 SDカードをスロットにさすと /dev/mmcblk0 というデバイスが見える。 /dev/mmcblk0p1 をマウントするとそのまま内容が見える。 USB接続ではないので usbmount の自動マウントの対象にはならないみたい。
気に入った点。
気に入らない点。
とりあえずリジュームはなんとかならないかなあ。 他はいくらでも我慢できるんだけど。
大晦日になってやっと年賀状を。 うちからのが届かなくても気にしないでください > 関係者
しかし、毎年気になるのが喪中のあいさつ。
あれは「今年は年賀状を出しませんから」という意味だと思うのだが、 それは「今年は年賀状を受け取りませんから」という意味も含むのだろうか。 なんとなく、そんな気がして毎年出さないでいるのだが、 もし仮にわたしの身内に不幸があって、 「年賀状を出さない」ということになっても、 私は受け取りたいんだが。
っていうか、私だったら喪中のあいさつは出さずに普通に年賀状を出しそうな。
が、世間的な常識を知らないので、 「非常識」を相手に強要するわけにもいかず、 今年も何通かは遠慮したのだった。