年度末なので今年度の活動をレポートにまとめている。
で、2003年に行った講演(プレゼンテーション)は9件であった。 全部、依頼または招待されたものであることを考えるとまあまあの数字か。
時期から考察すると、
などが分かって興味深い。
昨日、書き終わらなかった原稿を引き続き。8ページという約束であったが、 書き終わった後ざっと見積もってもらったら9ページ半はあるとのことであった。 また書きすぎた。実際にはあちこち削ることになるだろうな。
なんだそうだ。
HPのLinux担当バイスプレジデントMartin Finkは当地で開催中のイベントLinuxWorld Conference & Expoで、「最終的にソフトウェア特許は生活の一部となる。それを無視するのはいささか世間知らずといえる」と語った。同氏はさらに、ソフトウェア特許に反対するのは結構だが、それらを取得しようとしないのは無謀だとも指摘した。
いや、特許に実際に関る人はみな同じようなことを言うし、 ソフトウェア特許をすぐに無効にする現実的な方法もなさそうだから、 おっしゃることはわからないでもないのだが、 「取得しようとしないで」公知にするというもアリだと思うのだが。
それに、今まで積み上げた慣性を考慮に入れず、 「産業振興」だけを考えると、今の特許のあり方は(ソフトウェアだけに限らず) いろいろと改善の余地がありそうなんだが、そういうことには触れないんだよなあ。
ま、「特許は無視できないし、重要な戦略物資」だと思ってることは同じでも、 オープンソースに(ごく一部だけど)自社特許を解放して、 オープンソース開発者の歓心を買うIBMに比べて、 「Linux担当バイスプレジデント」が自らソフトウェア開発者の反発を買うような発言をしちゃうHPは、 かな〜り、お粗末な印象を受ける。まったく下手くそなんだから。
これでは「HPが味方である」とは思ってもらえないと思うよ。
「多重継承」がテーマ。いつもながら日経は上手に書き換えてくれる。おおむね私の元原稿よりもよくなっているのがすごいところだ。ときどき「こんなこと書いたっけ」と思うこともあるけど。
で、今回はかなり煮詰まった状態で書いたので、ゲラ段階で再度修正することが多かった。普段は分量の調整がメインなんだけど、今回はいつもより本文の修正が多かった。それだけ難しいということなんだろうか。
「日経Linuxの中では難しいので、もうちょっとやさしめに」という注文をもらってたんだけどなあ。個人的には最終的な文章の出来は気に入っているが、みなさんに喜んでもらえるかどうかは別だ。
先日の「Language Design Is Not Just Solving Puzzles」を受けて、 Pythonは進化の袋小路に進んでしまうのではないかと心配する話。
Pythonが変化に対して慎重なのは広いユーザベースを考えると当然だし、基本的に良いことだと思うけれども、変化が少ないと「わくわく感」は少なくなるよね。仕事として使ってるぶんにはそんなの関係ないわけだけど。
で、Rubyはというと、少なくとも1.9ではいつまでも変化を続けようと思う。というか、変化しようすることそのものが大切だと思っているのだ。
もちろんその代償はあるだろうけど、私が引き受けるぶんは喜んで引き受けようと思う。みんなが次々と新文法を提案したがることとか。どうもfragileな言語だと思われてるらしい。
気になる互換性については、1.8はいつまでも(基本的に)同じです、で勘弁してもらおう。
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先日のアメリカ出張のときに島大の野田先生からいただいた本。 ようやっと読めた。
戦前、アメリカ留学までしたルーテル教会の牧師さんが 戦中香港の捕虜収容所などで通訳として働いた時の経験。
愛国者でありながら捕虜に対しても人道的な態度を貫いたこと。 人間的な弱さを持ちながら正しいことを行ったこと。 試練にあってもそれを乗り越えたこと。
なんか多くの人から尊敬される人をただただ「聖人」のように扱うことが多いのに 対して、等身大の表現も好感をもてる。 自分がこのような状況に巻き込まれたら似たようなことを感じると思う。 同じように行動できるかはかなり疑問だが。
で、この渡辺潔牧師は野田先生のおじいさんであるとのこと。
成果はすばらしい...んだろう。 画面数で規模を測ったことはないんでどのくらいの規模だか よくわからないけど。
だが、毎回うまくいくような気がしないのはなぜだろうか。
しまねOSS協議会によるオープンソースサロン第5回目。 今回はUS視察の報告会。
で、同席するためだけに参加したつもりだったのに、 発表者の列に並ぶ羽目に。 まあ、しょうがないか。
野田先生が概略を解説。 井上会長がビジネス的視点から補足。 私が技術的視点から補足。
もっとも、私はたいしたことは言えなかった。
今回の訪問で一番印象に残ったのは
間違った側に立たない。
オープンソースは止められないから、乗るしかない
Free as in Free Puppy。
タダで子犬をもらっても、犬小屋やドッグフードなど 「その後のコスト」は馬鹿にならない。 オープンソースの「タダ」も似たようなものだ。
くらいかな。
IoでObjective-Cの文法を導入する試み。
こういう「クレージー」なことができる言語は素晴らしい。 が、日常的に使いたいかどうかはまた別問題である。
John McCarthyがRubyに言及したのかっ、と思ってインタビューのログを読んだが、 インタビュアーがふっただけなのね。そりゃそうか。
で、返答は当然(?)ながら
I don't know enough for example about Ruby to know in what way it's related to Lisp. Does it use, for example, list structures as data. So if you want to compute with sums and products, you have to parse every time? So, in that respect Ruby still isn't up to where Lisp was in 1960.
というもの。ある意味、予想通り。
未来の言語であるところの「Elephant 2000」というものがどういうものなのかよくわからなかった。