聖餐会の話、日曜学校のレッスン、初等協会でお話。
ホームティーチング。
なんともロマンチックなデートの話を聞いた。 どうにもそういう「女性受け」しそうな発想に欠ける私としては 妻のためにも爪の垢を煎じて飲まねばならないと強く感じた。
いや、なんか飲んだくらいで発想が改善されるなら苦労はしないんだけどね、実際。
ある種の人々によると「この信条を受けれいている人」というのがクリスチャンの定義なのだそうだ。 もうちょっと三位一体とかそういうのが出てくると思ったけど、これはちょっと意外だった。 それと自分の無知を痛感した。
だとすると原始キリスト教会の構成員たるペテロとかパウロとかはクリスチャンじゃないとか。 あと内村鑑三(無教会主義)とか。
ちなみに私のクリスチャンの定義は「イエス・キリストを救い主として受け入れている人」であり、 上記の定義よりもかなり広い。
あと、実際に読んでみると、ニカイア・コンスタンティノポリス信条で 私の信仰と矛盾する言及は(少なくとも表面的には)一切ない、というのも意外だった。
矛盾しないなら受け入れても良さそうなものだが、 私の通っている教会は、教義的には原始キリスト教会からのフォークを主張しているので、 「フォーク後」のニカイア・コンスタンティノポリス信条にはしばられないという解釈なのだと思う。