アスキーから出るという『LL Magazine』の原稿(計5ページ)と、 『CODE Reading』の監訳の仕事が両方とも年内の約束である。 例によって引き伸ばしと怠慢によってぎりぎりになりそうだ。
『LL Magazine』ってのは夏に開いた『LL Saturday』の内容をベースにしたもので、 ここでの「LL」は当然「Lightweight Language」のことだ。
私の担当分は以下の通り
LL Magazineに寄せて(献辞)
各言語のデザイナーからのLL Magazineによせる言葉。 Larry, GuidoからはOKをもらったらしい。PHPのZeevにも頼んだそうだが。
Lightweight Languageとは?
一応、日本でLightweight Languageの定義を語る人物といえば、まつもとだろう、 ということで、私に依頼が来た。LL Saturdayでの発表をベースに総括する。
Language Update
各言語の最新情報。Rubyについては、
を報告。
『LL Magazine』いつ出るんだろう。
『0201799405』はすばらしい本なので、 ぜひ日本語化のお手伝いをしたいということで引き受けた。
@ITのDevelopment Style Round Table Talkingなるインタビューの3回目。
この座談会の第1回は、 この日記でも11月25日にコメントしている。
今回も面白そうなタイトルであるが、内容はタイトルを反映していないように思う。 決意について語ってるところあったかな。
興味深い発言としては、浅海さんの
つまり、利用者が無料で使えるというのは確実にいいことなんですが、無料で提供した人が得をするかというと、現状では得をしないんですよね。IBMのように大きな枠組みを構築できる企業は得をするかもしれません。しかも、もしもの場合は別のところでもうけて損失を補填する体力がある。しかし、オープンソースの中核を担う、あるいは担ってほしい人たち(多くの場合個人)は得をしないモデルなんですよね、いまのオープンソースというのは。この辺、どうすればいいのかなと考えてしまうんですが。
(中略)
いまは、オープンソース・プロジェクトの成果が全部法人に還元されてしまうじゃないですか。作った人はほとんどもうかっていない、一部の例外を除いて。また、優秀なエンジニアを個人として社会的に引き上げるシステムが絶対必要なんですが、いまはそういうシステムがないでしょう。
ま、事実の指摘としては、そういうところはなきにもあらずである。 この状態を称して「オープンソースの弱点」とあげつらう人がいるのが問題である。
あ、浅海さんは弱点なんて言ってませんよ。
たとえば、サッカーの試合のチケット収入は興行者に入るので、直接プレイヤーの財布には入らない。 しかし、それを問題視する人はいない。最終的に一部はプレイヤーに還元されることが分かっているからだ。
オープンソースで同じことが成立しない理由があるのか。あるいはまだ環境が整備されていないだけなのか。
個人的には後者だと思う。もちろん、サッカーと違って、 オープンソースソフトウェアは誰でも対価を払わないで利用してもかまわないという点が 違うといえば違うのだが、この条件がオープンソースの発展の障害となることはないと考える。
みんなは知らなかったかもしれないが、すぐれたオープンソース(フリーソフトウェア)は ビジネス的に注目されずもっと経済的に厳しい状況の中でもずっと生き延びてきていた。 ここ何十年も成立してきたものが、注目され状況がかえって良くなっている現代で成立しないと考える人は、 要するに「自分の常識で説明できない」から否定しているだけではないだろうか。
もうひとつの理由は、私は企業はそんなに馬鹿ではないと考えていることだ。 近視眼的には「ほっておいても無料で手に入るものに金を払うのは馬鹿だ」という考えもあるだろう。 しかし、オープンソースを活用する企業がオープンソースが振興するために投資することが 長い目で見れば非常に有効であることは、ちょっと考えれば分かるだろう。 「海に行けば魚が獲れるのに養殖するのは馬鹿だ」と公言するのはあまり利口に感じられないのと 同じようなものではないだろうか。
まだ、システムは確立していないのは事実だ。 オープンソース開発者でオープンソースだけで食べていける人は少ない。 これも事実だが、しかし、現時点までの状況ではかなり希望があると思っている。
100年前、「野球で飯を食う」と公言するとかなり笑われたと思う。 しかし、多くの人がシステムを構築してきたので、年収数億円のプレイヤーが登場するようになった。 今、「オープンソースで飯を食う」といっても「ありえない夢」と思われるかもしれない。 だが、そんなに遠くない未来には「簡単ではないけど実現可能な夢」と認識されるようになると、 私は固く信じている。いや、すでに「簡単ではないけど実現可能な夢」になっているのだ。 プロ野球選手になるよりは100倍簡単だと思うぞ。
ところで、全然違う話だが、この座談会では、第2回のタイトルが「日本発の独自技術を開発する」だったりして、 「日本独自」ということに結構こだわっているように見える。
そんなにこだわる必要あるのかな。ナショナリズムの昂揚とか?
後輪もやっと交換。このぐずぐずした性格はなんとかならないものか。
録画してあったものをようやく見る。原作に妙に忠実かと思えば、 極端にアレンジしてある部分もある。 しかし、原作に忠実な部分は見られるが、 アレンジしてある部分は妙にできが悪い。 なんでアレンジしたかなあ*1。
本間先生*2のエピソードで石の鞘を捨てるところは不要。まして娘など。 最悪はU-18のエピソード。「一緒にやり直しましょう」とか「私があなたのお母さん」とかのセリフには 寒気さえ覚えた。だいたい触ったり動かしたりできる立体映像ってなんだよ。
感動させようとして追加した部分が蛇足以下。 やはり手塚治虫の真似は誰にもできないということなのか。
アレンジされた部分で納得できたのはU-18のエピソードでのピノコの携帯の扱い。 あれは現代風で自然だった。別に必要でもないけど。
追記
ブラックジャック病? そんな病名だったかなあ。動物も人間もちっちゃくなっちゃう病気。 本間先生かどうかは覚えてないんだけど(たぶん違うけど)、 あの鼻と恩師という設定は記憶にある。
たまに見ると面白い。この世界では国家錬金術師はそれぞれ独自の銘をもっているらしい。 主人公エドワード・エルリックの銘は「鋼」なので『鋼の錬金術師』ということだ。 ということは、あれだけたくさんいる国家錬金術師の中には銘が「裸」とかいうのがいて..(バキッ
それはともかく、なんでもありの魔法ではなく科学としての錬金術を表現しようとしている点が 面白いといえば面白いが、その制約が「等価交換」としか表現されていないうえに、 ほとんど説明がない(「質量保存」と「属性不変」ってのはあるらしい)ので、 やっぱり魔法と大差ない。
もうちょっと理論的背景をほのめかしてくれてもいいのになあ、 と思うのは硬めのSF好きのたわごとか。 そういうのが『4086301636』なんだろうか。 まだ読んでないが。