昨日の「ソフトウェアエンジニアのオープンソースへの相反する感情」に対して、 荒川さんは以下のようにコメントしてくださった。
おっしゃることはもっともですが、それは「まつもとさん」だから言える事ではないでしょうか。
(中略)
元になっているインタビュー記事の真意はともかく、梅田望夫さんの記事はその他大勢の「持たざるもの」をターゲットにした話であり、まつもとさんの指摘は微妙に外れているように思うのですが、いかがでしょうか。
ある意味当然かもしれないが、私は外れているとは思わなかった。 指摘を受けたいまでも外れているとは思わない。なぜか。
梅田さんの真の意図は私には分かるはずもないが、当該記事の見出しはこうだ。
つまり、基本的な構造は「オープンソースエンジニアはどうやって生活を維持するか」という疑問の提示と、 その解としてのMitch KaporのNPO(OSAF)の紹介である。
たとえ梅田さんの記事の想定される読み手が「持たざるもの」であったとしても、 文章が解説しているのは「オープンソースエンジニア」のあり方であり、 彼らは(著名であるかどうかは別として)価値あるものを持っている人々のはずである。 少なくとも「持たざるものがどうやって生活を維持するか」という話じゃない。
そして私の昨日の文章の趣旨は 「オープンソースエンジニアの持っているものが価値あるものであれば、 (うまくやれば)生活の心配しなくても済む時代は近い、いや、もう来ている」 というものである。 言い替えれば「どうやって生活を維持するか」という疑問は今やそれほど重要でなくなっている、 という事実の提示である。
現在の真の問題はその前段、つまり、どうやって「持てるもの」になるか、という点だ。
梅田さんの記事も私の文章も、どうやったら「持てるもの」になるかについてはなにも書いていない。 それについて聞きたい人は多いだろうけど、そんなの人によって違うだろうし、 万人向けのハウツーはありえないだろう。
また古い話なんで恐縮である。Ruby温泉ミーティングでは、この件について書かないと言ったような気がするが、 私と同じ意見を見かけないので、記録のためにもやはり書いておこうと思った。
コンピュータの世界から日本語が消えたのである。マイクロソフトとTRONが提携なのである。
要するに半可通である。コンピュータについてなんにも知らないわけでない人が、 自分の知っている範囲内のことをつなぎあわせて作った脳内世界について語ってしまうという。 別に珍しい現象ではない。
ほぼ同じ時期にアサヒ・コムの「デジタルストレス王」でもMacOS Xについての誤認に基づいた記事が出た。 Webに半可通は珍しくない。既存のメディアでさえそうなのだから。
喫茶店や電車の中でコンピュータ関係の無茶苦茶な知識を披露している場面に遭遇したことがある人は多いだろう。 滅多に人の多いところに行かない私でさえ、一度や二度ではない。
「読むだけで感染するウィルスがあるから、なんちゃらというサブジェクトのメールは読まずに削除しなきゃダメ」 というデマにも笑ったが、そのうち現実になってしまった。現実はデマよりも奇なりだ。
まあ、それはともかく。Webに書く内容はほとんど誰からもチェックされないから、 内容的には飲み屋の与太話、電車のうわさ話と同じレベルだ。 当の長尾氏も普段からこんな話をしていて、周囲からは「ITに詳しい人」と思われているんだろうなあ、 ということが想像できる。
では、Webに限らず、世の中に半可通がこれほど多く*1、 またそれが容易に想像可能であるとして、 問題はなにか。
一般的な問題としては、
また、この件に限定した問題としては
そういうことを感じたので、このことが話題になっている時には
まあまあ、半可通とはいえITに興味があるのは確かだから、 教化してちゃんと知識のある人になってもらえば、 IT業界(特にオープンソース周辺)の政治力強化につながるかも
と彼を擁護しようかな、と考えていたのだ。今でも「政治力強化」は必要だと思っている。
しかし、当の文章や、その後のいいわけを 読むと、政治的な能力はともかく、日本語には不自由してそうだ。 自分の考えをきちんと論理的に表現できない人は政治の世界にいるべきではない。
というわけで、誰かきちんとITについて学びたいという自称IT通の政治家はいませんかねえ。
*1 もちろん、私も半可通だ