今日は会社の仕事納め。午前中はみんなで事務所の掃除、のはずだったが、 生活の乱れから朝起きられず、会社についたらお昼が近かった。うーむ。
あわてて机の上を掃除する。要らない書類やカタログなどを大量に廃棄。 積み上がった資料や書籍を本棚に返す。ほとんど読んでない電子通信学会の冊子も廃棄。 ACM communicationsやSIGPLAN Noticesは本棚に整理。
やっと机の表面が見えるようになった。普段はノートPCを置くスペース以外は紙と本に埋もれているものな。 毎年同じようなことをしている経験からいうと、このきれいな状態は一ヶ月は保たない。
IDGジャパンのLinux World誌の取材を受ける。 オープンソース開発者のインタビューをする 『オープンソース・ブギウギ』という見開きの連載だそうだ。
過去には、ただただしさんとかも取材されている。
しかし、たった2ページのためにライターとカメラマンの二人を松江まで出張させるとは IDGも豪気なことだ。Rubyの特徴や経緯、思想など好き勝手にしゃべったが、 いったいどういう風にまとめることだろうか。楽しみではある。
インタビュー後、事務所の前で写真撮影。レフ板を配置したり、光量を測定したり、 なんだかおおげさな撮影で変な気分。
以前、Tech B-ingの取材を受けた時にもたった1枚の写真のために何十枚も撮影して、 びっくりしたことがあるが、今回も同様だ。
カメラマンの人はさすがに立派なカメラを持ってるな、と思ったらデジカメだった。 文明は進歩している。
もうクリスマスも終わってしまったし、 ごく普通の集会。帰省する人もいるせいかいつもより少々人数が少ないかも。
クリスマスパーティーのポップコーンが大量に残っていたのだが、 子供たちを中心に群がるように食べていた。悪いけど、ピラニアとかハイエナとかを連想してしまった。 食い物には弱いらしい。
印刷した。結局「不自由なソフトウェア」のお世話になってしまった。 負けた気分でいっぱいだ。
表裏を間違えたり、インク切れで色が変になったり、 なぜが画像がずれたりで、6枚も失敗してしまった。余分に買っといてよかった。 失敗したのは(くじ番号をチェックしてから)郵便局で交換してもらおう。
ついでに娘の年賀状も作ってやる。 コンピュータ三昧の生活をしているくせに、 こういう一般の人がよくやるような使い方に滅法弱いのは、家人には理解できないらしい。
クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念するキリスト教の祭だが、 イエス・キリストが12月25日に生まれたとする証拠は聖書には見当たらない。 これは「死と復活」をイメージさせるヨーロッパ土着の当時のお祭りが起源となって、 発生したものらしい。
では、キリストの誕生日について推測できるものはないのか。
聖書の記述に誕生日について季節が推測できる記述は少ない。 数少ない例は以下のようなものである。
ここから分かることは、この日はエルサレム近郊で羊飼いが野宿できる季節であった、 ということである。ということは少なくとも冬真っ盛りの12月ではありえない。
『マタイによる福音書』にも生誕についての情報が記されている(2章) こちらには「東からきた博士たち」(Magi)についての記述がある。 しばしば三博士と呼ばれ、 「メルキオール」、「カスパール」、「バルサザール」とそれぞれの名前まで知られているが、 これらは単なる「言い伝え」で、意外なことに聖書には人数さえ明記されていない。
しかし、直後にヘロデ王が
ところを見ると、博士たちの到着は誕生当日どころか、何ヶ月も、あるいは何年も後であることが推測され、 誕生日を推定するための材料にはならない。
結局、聖書からの情報だけでは、イエス・キリストの誕生日は「真冬ではありえない」という以上のことは分からないわけだ。 私たちの教会には「イエス・キリストの誕生日は4月6日」という言い伝えがあるが、 これにも確証があるあけではない。
では、誕生年はいつか、という別の疑問もあるわけだが、これはこれで別の機会に述べることにしよう。
プログラマー日記より。
「Setter/Getterを作るのがめんどくさかった」ので、 グローバル変数を多用して泥沼にはまってしまった人を見て、 嘆いている人を見て。
「Setter/Getter をいちいち作るのがめんどくさかった。」という言い訳を聞いて、めんどくさがらずにちゃんと作れ!と怒るのは簡単なんですが、そうじゃないんです。そうじゃなくてSetter/Getterを作るのがめんどくさい言語仕様に疑問を持つべきなんです。あるいは、Setter/Getterを作るのがめんどくさくないようにするにはどうしたらいいかを考えるべきなんです。
...
実は、初心者の疑問や意見には、ときどきハッとするものがあります。ただそれは普通に聞くと「初心者の戯言」にしか聞こえません。特に技術力があればあるほど、そういう傾向になります。これは仕方ないことではあるんですが、しかし頭の思考をそこから一歩抜け出して、「なぜこの初心者はこういうことをいったのだろう?」と考えてみることが大事です。なんというか、初心者の言葉を第三者として外から眺めてみる感じでしょうか。
その通り。その延長線上にRubyのデザインがある。
っちゅーか、たまに自分で大きめのプログラムをRubyで書いてみると 「こんなのめんどくさいなー」と感じることがあり、 それが文法の「改善」の動機になることは比較的多い。 見逃してはいけないデザイン上のインプットだと思う。
Rubyについては最近はだいぶ安定したけど。
というか、子供できちゃうと本当に時間がない。まつもとさんはよくできるなぁ、4人もいるのに。
それはもう経験の差ではないかと。もう13年も父親やってますから。
なんてね、実際は内助の功が大きいのであった。 最初、父親に慣れてない頃は主に会社で開発してたから(自宅にはPCがなかった)、 子育てはあんまり影響してないし。 最近は上の子を活用したり。私の仕事はコミュニティがだいぶ肩代わりしてくれてるし。
『Z会と大学受験支援サイト』には、 各大学の著名卒業生のリストとかが載っているわけだが、 筑波大の「経済界」のリストに
まつもとゆきひろ - オブジェクト指向スクリプト言語Rubyの作者、情報学類卒
が入っているのはどうかしてると思う。もっとも、そのリストの先頭は
登大遊 - ソフトイーサ代表取締役、情報学類在学中
だったりするのだが。なんてACな。
しかし、「いとうまゆ」やら「犬丸りん」やらが同窓生だとは知らなかったな。
2006年忘年会。今回は和食。
今年は良かった。悪い良い方をする人も目立たなかったし、 宴会の余興も楽しめた。ギター演奏やら舞踊やら。 普段見れない才能を堪能した。
こういうのを見ると音楽的才能を伸ばさなかったことが悔やまれるな。 まあ、早いうちに人生をプログラミングに最適化してしまった結果ともいえるのだが。
食事にも会話にも余興にも満足した。 忘年会は来年もこうありたいものだ。
「インストール一切不要! メモ帳一本でゲームが作れる開発環境(Windows用)」。
こういうのがあればHSPじゃなくてもとりあえず始められるのかなあ。
ワーキングプア問題で、一生懸命働いても生活保護を受けている人よりも 収入が低い人たちがいることに対応しようとする動き。
その動きそのものには別に反対するところではないが、
働いた賃金よりも生活保護の方が多いねじれを解消するのが狙い。生活保護の引き下げと最低賃金の水準切り上げの両方で対応する。
えーと、引き下げることで「ねじれ」は解消するかもしれないが、 「困っている人を助ける」という視点がまるまる抜け落ちているような。
それとも、なんらかの事情で「生活保護」ってのは高くなりすぎているのだろうか。