池田さんはこの文章が発表された次の日のオープンソース関連政策討論会でもまったく同じことを発言していた。
まあ、機会を捕らえて持論を展開というのは我田引水というか、強引というか、 そういう印象は否めないけれど(だから彼のことを悪く言う人を見かけるのかも)、 このコラムの発言は理解できる。
「エゴを抑えてみんなが幸せになりましょう」というのは、オープンソースの基本理念ともつながると思う。
勝ち組だけがすべてを取る社会で勝ち組に入ることを志向するのか、 大勝利はないかもしれないが、多くの人が幸せになる社会を志向するのか。
むずかしいのは「すでに勝ち組になっている人」と「もう少しで勝ち組に入れるかもという人」が この「別のやり方」に乗り換えることで、おまけにこれらの人が権力を持っていることだ。 こういう人たちにとっては(少なくとも短期的には)失うものの方が多いものなあ。
我々「持たざるもの」がまず自分の乏しい中から分け与える社会を作っていくしかないのだろうか。
お風呂のお湯がいっぱいになったとアラームが鳴った。すぐに自分が動くか、子供に止めさせればよかったのだが、 「止めないとね」と口にしただけで、 つい他のことをしているうちにみんな忘れてしまった。
数十分後....、あふれたお湯にぼうぜんとした私たち家族一同。もったいない。
教訓
現実逃避は続く。いやあ、さすがにあらかじめさんざん考えていただけに、さくさく実装できる。 今日だけでメールの取り込みプログラムはほとんど完成した。
もっとも、最重要なのは以下にいかにメールを表示し、検索するかという点なのだが。
ところで、Rubyである程度以上の規模のアプリケーションプログラムを書くのはすごい久しぶりな気がする。
以前、Rubyのバグトラッキングシステムとしてruby-lang.orgでjitterbugを運営していた。 今は「Ruby のバグ(勝手に)トラッカー」とrubyforge.orgのBTSをなんとなく利用している。
が、どれもこれも一長一短で完全に気に入るものではない。 Tracにも期待しているのだが、今からsubversionへ移行するのもちょっと抵抗があるし、 どうも私の期待を完全に答えてくれるわけではなさそうだ(知らないだけかも)。
既存のBTSへの不満はこんなものだ。
こんな不満を解決してくれるものはないものか。
最近、かずひこくんが作ったHikiのIssue Tracking Systemと、 quick MLと適当なMLアーカイバを組み合わせればできるような気がしないでもない。
が、車輪の再発明かもしれない。
今日は「Ruby on Railsトレーニング」の最終日。 当然顔を出す予定だったが、急遽『たのしいRuby』第二版の最終校正が 今日〆切という話を聞いて、早い便の飛行機に変更して、帰宅。
自宅で校正を行う。急いだのでくたびれた。 直前になってちょっと大きな直しを依頼してしまって申し訳なかった。
まだ、『プログラミングRuby』の最終校正も残ってるんだよなあ。
「Rubyに勢いを感じる」という記事。
確かに最近いろんな話が舞い込んできて、 正直実力以上にRubyが評価されている気がする。 トレンドというのはそういうものか。
今まで雲の上だと思ってたような人やら会社やらからコンタクトを受けると そんなことを実感する。
机は資料のキャッシュであると割り切って、 整理せずに積み上げる方式。すぐに見つからなければもう探さない。
単なる言い訳という気もしないでもないが、 とてつもなく散らかった机の持ち主としては非常に共感する。
ちなみに積み上がった机は限界が来た時点(大体年末の大掃除の時)で フラッシュし、きれいになる。が、机の面が見えるのはその後数週間だけだ。
Rubinius 0.7がリリースされた、という話。
実用レベルにはまだまだだがあきらめず着実に進歩しているところは評価したい。 Evanは業務時間の半分はRubiniusに使ってもよいということで、 職場の理解があると言うことはプロジェクトが中断しにくいということでもあるし、 そういう意味では将来が期待できると思う。
もちろん、フルタイムで働いているJRubyも。
NetWorkSpacesという仕組みを使ってプロセス間通信をすることで、
を実現しようという話。PythonとRの間で通信ができると言うことは、 当然、Rubyでも利用可能だと思う。
通信コストが十分に低ければマルチコアを活用する目的にも使えるかも。