私はここ10年以上メールリーダとしてcmailを使い続けているわけだが、 最近違った形のメールリーダが欲しいなと思っている。 以下のような条件を満たすMUAがあれば乗り換えちゃうかも。
「Bayesianフィルタ的自動分類」ってのは、現在SpamかSpamでないかを判定するために使っているBayesian検定を 各フォルダごとに行うということだ。 「このメールは仕事用」とかフォルダに分類してくと 勝手に賢くなって仕事っぽいメールは適切なフォルダに分類してくれるというのが望ましい。 とはいえフォルダの数だけデータベースを持つというのはデータ量からも計算量からも富豪的過ぎるかなあ。
全文検索機能はある程度以上大量のメールを扱う時には必須になるだろう。 たぶん、検索結果を抽出した仮想フォルダのようなものも必要だと思う。
すでに似たような機能のMUAはありそうな気がするのだが、どうだろうか。
通りすがりの人が指摘してくれたような 批判は スラッシュドットでもたくさんある珍しいものではない。 匿名ではないというところが見込みがあるけど。
しかし、以前にも書いたが、この人たちの思考の過程には興味がある。 いったいなにを主張したいのだろう。
前提となるのは以下の主張だろう。
これは、理解できる。私も同意する。ストールマンも最初からそう指摘しているし。
しかし、批判にはそれに続く以下の前提を含まれているように感じられる。
これはどういうことだろうか。この前提は正当なのだろうか、当然なのだろうか。 誤解しやすいから誤解してもよいのか、誤解を拡大再生産してよいのか。
世の中にはふたつの単語の合成語で個別の単語を組み合わせた意味と違う、 あるいは組み合わせた意味よりも狭い意味でしか使わない単語はいくらでもある。 違う例としては「ジャングル・ジム」(密林の体育館)、 狭い例としてはたださんのあげられた「携帯電話」がある。
携帯電話について
という主張はかなり滑稽に聞こえる。 正直なところ、私には「オープンソース批判」も同じように滑稽に聞こえるのだ。
そのような滑稽な主張を始めてしまう理由はなにか。興味深い。
いや、批判派は「ソース」を「ソースコード」という意味にしか使っていないので生ぬるい。 技術者でない一般の人が「ソース」という単語を聞いて「ソースコード」なんて意味に捉えるはずがないだろう。 「ソース」といえば「源泉、源」である。
つまり、オープンソースというのは「出所が明らかであること」を意味するに決まっている*1。
要するに最近話題になっている「トレーサビリティ」を含む広い概念なのだ。 たとえば、この肉はどこの牧場から来てて、その父親と母親はどの牛でということまで、 すべてのソース(出所)がオープンなのである。
オープン万歳。
そして、すべてのニュースソースをオープンにする「オープンソース・ジャーナリズム」。
なんだかものすごいもののような気がする。守秘義務はないのか。
*1 冗談なので本気にしないでね、お願い
office氏とACCSの間で和解が成立したというニュース( CNET、 ITmedia、 INTERNET Watch)。
条件は
とのこと。点検するサイトは「2ちゃんねる、2ちゃんねるプロバイダー、はてなダイアリーの3つ」だそうだ。
これは民事のほうだと思うけど、不正アクセスうんぬんは別として、 個人情報を(故意に)漏洩してしまった事に対する対応としては、 わりと現実的ではないかと思う。
もっとも、こういうのは「罰」としてはともかく実効性は薄いような。
ファイル交換ソフトは対象から外されたみたいだし、 場末の掲示板とかチェックできないし。 本当ならこういうのは機械的に行うべきではないかと。
2ch対象ならそういうサービスはすでにあるみたいね。キーワード3つで1カ月15万円は高いか、安いか。
話題は変わるが、third party cancelが自由にできるWinnyがもしあったら、 それはどんなものになるか。 プライバシーの漏洩や著作権侵害は気がついた人がどんどんキャンセルしちゃうと。
もちろん、認証もなにもないキャンセルなのでいたずらに悪用されたりする可能性もある。 有用な情報もどんどんキャンセルされちゃうかもしれない。 ダウンロード効率主義者にとっては、確実に今よりも住みにくいネットだろう。 が、それは払うべきコストではないか。
あるいはその住みにくさによりユーザをひきつけられず廃れてしまうか。
今年はなんにも聞いてないから、「呼ばれないのかな、まあ、去年さんざん話したしな」と思っていたのだが、 たかはしさんから打診されてしまった。
土曜日のLanguage Updateはぜひともまつもとさんに語っていただきたいので、土曜の一日だけでも参加していただくことは可能ですか?
で、お返事は「できないことはないです」です。 ただ、私を呼ぶと交通費が高いですよ。 と、日記で返事するのもなんだか変だなあ。
しかし、考えてみたらRuby界で最近あんまり新しいことやってないような気がする。 話題といえばクラックのようなネガティブな話ばかり。これではいかんぞ。
昨日のエントリに対して、高木さんからコメントをいただいた。
「不可能」と「簡単にできることではない」とは異なる。「侵害されてしまったこと」と「侵害され続けること」あるいは「侵害が拡大すること」とは異なる。
まつもとさんは、インターネットがそもそもそのような性質を少なからず持っているということに主張の力点をおいているのだろう。だが、それはいまさら言うまでもないことではないか。
えーと、その通りです。私はまさにその「いまさら言うまでもないこと」について話したかったんです。
私と高木さんは話していること(見ていること)が違うんですよ。 高木さんはWinnyの仕組みが他の類似物と比べて悪質であり「邪な心を解き放つ」効果があることを示そうとしておられるのだと思います。それに対して私は反論するつもりはありません。
ここでの「Winnyでなくてもそういう問題があるのだから」という発言は、 「Winnyだけが悪いわけではない」というWinny擁護のニュアンスではなく、 「では、そういう「インターネット」で自分を守る仕組みはどういうものか考えたい」という 問題提起のつもりだったのです。
答えがないのはあいかわらずですけどね。
CNET Japanより。
ACCS専務理事、久保田氏による見解。もちろん、彼の意見は「幇助にあたる」だ。 重要なのはACCSの基準が明確化されたこと。警察による基準ではないが、 ある意味当事者の一人であるACCSから基準が出ることは、最初から基準の明確化を求めてきた私には朗報だ。
幇助の概念を一番広く取れば幇助にあたるのは議論の余地はないので、 ここでは「可罰性のある幇助か」どうかの基準であると解釈する。
ACCSの基準は以下の通り。
それぞれ考えてみよう。
どう考えても(3)は必須なので以後略。正犯による著作権侵害が行われなければ幇助もない。
では、残りの条件を考えてみるに、 これだけでは「幇助というには足りても、可罰性についてはどうか」という印象を持つ。 ここは議論の分かれるところではないだろうか。この点については法廷で争われることになろう。
分からないのは、久保田氏の「サービスや技術自体が違法だという立場には立っていない」という発言だ。
「技術自体が違法ではない」という部分は 「P2Pという技術自体が違法ではない」と解釈すれば筋は通っている。 しかし、「サービス」という言葉が含まれている以上、私には 「Winnyというサービスや技術自体が違法ではない」という風に読めるのだが。
しかし、それでは「1人の天才技術者が、制度に対して技術的にテロのような状況を起こすことには怒りを禁じ得ない」という言葉と矛盾するし。 この部分の「サービス」とはなにを意味しているのか。「ファイル交換」か?
特に名を秘すが、某所で時々ある人の日記をチェックしている。 ソフトウェア開発の分野ではそれなりに名の知れた人だ。
しかし、この人の日記はどうにも心に響かない。 というか、なにを言っているのかよく分からないのだ。 なんとなく人工無脳が書いているエントリを読んでいるようだ。
技術的にそれなりに高度な(そして意味もある)ことが書いてあるのに、 そう感じるというのはどういうことだろうか。
「じゃあ、読むなよ」と言われそうだが、 恐いものみたさというか、なんというか。 たまに有益な内容もあるし。
わかりにくい方が高度なことが書いてある印象を与えるのだろうか。 「ソーカル事件」のこともあるし。
あるいは分野を限定して、十分に選別したテキストで学習させると、 それなりにそれなりな日記エントリを合成できるのだろうか。
今年はオープンソースパビリオンなる企画があり、 NaClも展示しているので、参加する。
海浜幕張に向かう電車で社長に会う。なんたる偶然。
あちこち回ったが、おもしろかった。
特に面白かったこと
まだ終わらない。ホテルで書く。
DHHも招いて。おいしかった。楽しかった。 今まで会ったことのない人にもたくさん会った。
どうやら、 先日、Outbound Port 25 Blocking対応をした時に、 なにか設定に問題があって、配送サーバによっては 私からのメールが不正なメールとしてはねられているようだ。
具体的には日経BPなどにメールが届かない。
私自身と家族のところには届くので気付くのが遅れてしまった。
もし、「まつもとからの返事がないなあ」と思ったら もう一度尋ねてみてください。問題はそれへの対応が 届くかどうかよくわからないことだけど。
しかし、私からのメールが出て行かなくても、 (原稿提出以外は)あまり問題が起きないんだなあ。
自分の存在の小ささを感じる。
で、いきなり遅刻してしまい、ささだくんの発表の途中で到着。
今年は多い。が、去年の倍以上という気はしない。 やはり階段状になっている会場の構造のせいか。
今年はプロジェクタスクリーンがふたつになっていて、 片方はIRCに開放されていた。 今、まさに発表している内容にpublicにツッコめるのは 大変楽しいが(ニコニコ動画みたい)、発表者としては 予想外のタイミングで笑いが起きたりして当惑したりして やりにくい。
まあ、発表者よりも参加者が楽しむべきなので あるべき姿なのかもしれない。
で、午後イチは私の発表、「2007年とその先のRuby」。 まあ、ちょっと苦心した揚げ句の発表である。
でも、あんまりウケなかったなあ。 で、その時のスライドと同じもの。
というのも、発表直後に操作ミスかEmacs 22のバグかなにかで スライドデータを失ってしまい、後のセッションを聞きながら もう一度記憶とログに頼ってゼロからスライドを描き直したからだ。
だから、発表したものとは微妙に違うはず。
で、飛行機の時間の関係でTimの発表の途中で抜け出した。 ささだくんからは、あいさつするかと言われたが、 そんな恥ずかしいことはできないのでパス。
でも、会場の人みんなが、まつもとが途中で抜けたことに気づいたろうな。 ごめんよ。Timの発表にもいろいろとツッコミたいことがあったのだが、 それは別の機会に譲ろう。
で、がんばって帰る。米子便にすればもうちょっと遅くまでいれたけど、 体力的にしんどいし。
今年のRubyKaigiは特異であった、と思う。
手作り感があふれるという点では、 同じようにオープンソースソフトウェアを扱っていても LinuxWorldなどとは全然違う。あっちはビジネスショーだけど、 こっちはそんなに商売っけはない。
とはいえ、昨年のRubyKaigiや他のOSCのような ユーザが楽しくわいわいやるという雰囲気とも違う。 それはスポンサーセッションが開かれたり、 ビジネスについても開かれているということが 原因になっているのかもしれないし、 あるいはちゃんと仕事になる(私のキーノート中に挙手してもらったところによると 1/3はRuby (on Rails)を仕事にしている)という状況が参加者の意識に影響があったのかもしれない。
しかし、最大の原因はやはり非常に意識の高いボランティアスタッフと 会場にあふれた「Rubyへの愛」だろう。 かつてこれほど「愛」が語られたソフトウェアカンファレンスが日本で 開催されたことがあるだろうか(いや、ない)。
これはきっと「愛の力(The Power of Love)」なのだろう。
Railsではちゃんとした「Webアプリケーションが簡単」にできるのか、 という疑問提示。
事実としては
である。ただし、モデルの部分をがりがり書き換えるような複雑なWebアプリは やっぱりRailsでも危険性が残る。メンテしやすいのは利点だけど。
ほんとはここでtaint mode($SAFE=1)を使えば、 危険なデータは汚染されるから最低限のセキュリティチェックは 自動で行える(ので、PHPよりもずっとずっと安全)と書きたかったんだけど、 今調べたらRailsはtaint modeでは動かないんだって(だいぶ工夫しないと)。
これはRailsの不備といってもいいと思う。
せっかくのセキュリティ機能なんだし、デフォルトで活用してほしいなあ。
XMLの良いところ、10点。
ま、わからんでもないが、いずれも私に対してはそれほど訴求しない。
個人的にはRubyKaigiでTim Brayも指摘していた 「XMLはエンコーディングをいつも明示している」という点を挙げたい。 この点についてだけはXMLはYAMLやJSONよりもはるかに優れている。 いちおう「YAMLはかならずUTF-8」という規約があるようだが、 なかなか守れてないし。