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Matzにっき


2003年06月09日 [長年日記]

_ メールリーダ妄想

私はここ10年以上メールリーダとしてcmailを使い続けているわけだが、 最近違った形のメールリーダが欲しいなと思っている。 以下のような条件を満たすMUAがあれば乗り換えちゃうかも。

  • 文章作成はEmacs(Emacsフロントエンドを持つ)
  • 数千(あるいは数万)通のメールでも(私のマシンで)さくさく動く
  • Bayesianフィルタ的自動分類
  • 全文検索機能

「Bayesianフィルタ的自動分類」ってのは、現在SpamかSpamでないかを判定するために使っているBayesian検定を 各フォルダごとに行うということだ。 「このメールは仕事用」とかフォルダに分類してくと 勝手に賢くなって仕事っぽいメールは適切なフォルダに分類してくれるというのが望ましい。 とはいえフォルダの数だけデータベースを持つというのはデータ量からも計算量からも富豪的過ぎるかなあ。

全文検索機能はある程度以上大量のメールを扱う時には必須になるだろう。 たぶん、検索結果を抽出した仮想フォルダのようなものも必要だと思う。

すでに似たような機能のMUAはありそうな気がするのだが、どうだろうか。

_ [OSS]オープンソース定義を拡大せよっ

通りすがりの人が指摘してくれたような 批判は スラッシュドットでもたくさんある珍しいものではない。 匿名ではないというところが見込みがあるけど。

しかし、以前にも書いたが、この人たちの思考の過程には興味がある。 いったいなにを主張したいのだろう。

前提となるのは以下の主張だろう。

これは、理解できる。私も同意する。ストールマンも最初からそう指摘しているし。

しかし、批判にはそれに続く以下の前提を含まれているように感じられる。

これはどういうことだろうか。この前提は正当なのだろうか、当然なのだろうか。 誤解しやすいから誤解してもよいのか、誤解を拡大再生産してよいのか。

世の中にはふたつの単語の合成語で個別の単語を組み合わせた意味と違う、 あるいは組み合わせた意味よりも狭い意味でしか使わない単語はいくらでもある。 違う例としては「ジャングル・ジム」(密林の体育館)、 狭い例としてはたださんのあげられた「携帯電話」がある。

携帯電話について

という主張はかなり滑稽に聞こえる。 正直なところ、私には「オープンソース批判」も同じように滑稽に聞こえるのだ。

そのような滑稽な主張を始めてしまう理由はなにか。興味深い。

_ [OSS]オープンソース定義を拡大せよっ(その2)

いや、批判派は「ソース」を「ソースコード」という意味にしか使っていないので生ぬるい。 技術者でない一般の人が「ソース」という単語を聞いて「ソースコード」なんて意味に捉えるはずがないだろう。 「ソース」といえば「源泉、源」である。

つまり、オープンソースというのは「出所が明らかであること」を意味するに決まっている*1

要するに最近話題になっている「トレーサビリティ」を含む広い概念なのだ。 たとえば、この肉はどこの牧場から来てて、その父親と母親はどの牛でということまで、 すべてのソース(出所)がオープンなのである。

オープン万歳。

そして、すべてのニュースソースをオープンにする「オープンソース・ジャーナリズム」。

なんだかものすごいもののような気がする。守秘義務はないのか。

*1  冗談なので本気にしないでね、お願い


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