先日に引き続き、某雑誌のためにライターさんから取材を受ける。
「クリスチャンとしての私」と「プログラマ(言語デザイナ)の私」の関係に 関心を持たれたようで、かなりの時間を教会とかの生活について 話す。そういえば、こんなに教会関係の話を(教会員でない人に)話すのは久しぶりな感じ。
宣教師時代の経験とか。
宗教って微妙な題材だと思うんだけど、いいのか? 私としては、これも私の重要な一部なので、ありがたいと思ってるけど。
妻にも電話で取材をしていた。 内容は聞かなかったのだが、後で聞いたところ、 「彼は『4840196832』のトニーに似ている」と 言ったのだとか。確かに最近その本読んだっていってたな。
そうなの?
私、生粋の日本人なんだけどな。いや、日本人的でないところもあるか。 空気読まないこととか。
昨年、宮崎で行った人工知能学会での講演をご覧になっての感想。
プログラミング言語Rubyは、プログラマーに「自然なコーディング」を許容するために設計された「人工知能」なのだ、と。
どこでどういう省略記法を許すか、という規則を実装したパーザーはルールベースで作り込まれているはずなので、言語を作っている側は人工知能だと思わないで作っているのでしょうが、実務の文脈でいかに自然な記述を許容するか、一つ一つ職人芸で仕様を選択した結果は、「高度な手作り人工知能」と言えるのかも。
人工知能としての自然言語処理技術では「人間がやりとりする言語のコーパスを集めて、それをどう処理したらいいか検討する」ということが行われるわけですが、「プログラミング言語が使われるシステム開発の現場のコーパスを集めて、それを効率よく記述できるプログラミング言語を設計する」ということがもしきちんと行われたら、Ruby のような言語はもっと工学的に設計できるのかも知れません。そのときに重要なのは「集めるコーパスにリアリティがあること」ではないでしょうか。
そういう発想はなかった。Rubyは人工知能なのかあ。