今月は29日までしかない上、月末が土日なので〆切が早い。 おまけに風邪を引いたりして原稿が遅れるのではないかと心配していた。 しかし、予想以上にスムーズに書き進んだので、〆切には問題なさそう。
「Ruby開発日記」のテーマは「ごみ集め」。この日記で書いてたような難しい話以前に、 そもそもごみ集めとは、とか、基本的なアルゴリズムとか、そういう話。
「パラグラフ単位のトラックバック」とか書いていたら、 私が手を下すまでもなく、ょゎさんが実装してくれている。ありがたいことだ。
パッチが公開されているので、さっそく試してみよう。
ただ、私の使っているバージョンのtDiaryにはbody_to_htmlというメソッドがなかったので、 そこだけ変更した。
今年も8月1日から5日まで、オレゴン州ポートランドのOregon Convention Centerで開かれる。
で、今年はRubyのトラックがあるということで(一昨年はあったが昨年はなかった)、 RubyCentralの友人たちから依頼されていた 発表のプロポーザルの〆切が 「Midnight (PST) February 13, 2005」ということなので、少々あわててサブミットする。
テーマは「Yield to the Block: the Power of Blocks in Ruby」。 ブロックの使い方をいろいろと語るというネタなのだが、45分持たせられるだろうか。 日本語なら楽勝だけど、「えーご」だからなあ。
この後、March 7, 2005までに採否の通知が来ることになっている。
採用されちゃったら、行ってくるしかないのだが、今度は交通費その他の算段をしなくちゃだな。 秋のRuby Conferenceにも行きたいんで、お金のアテを用意しとかないとなあ。 昨年は海外渡航ゼロだったのだが。
発表すると、結構な値段のOSCON参加費がタダになるので、 どうせ行くなら発表した方が良い。時間がない(日本時間だと月曜夕方5時)が、 少しでも行くつもりがあれば、だめもとで応募してみるのも手だ。
噂によればRubyトラックは競争率が低いらしいし。
この日記はいつも書くのが遅れちゃうわけだが、何日か経つとその日何があったのかすっかり忘れちゃうことがたまにある。
この日がそんな日だ。
教会に行って、ごく普通の日曜日の活動をしたことは覚えているけど、この日何か特別なことがあったかどうかあまり覚えていない。
ちゃんと書け、ということか。
それでも覚えていることがないわけじゃない。
来週バプテスマ(洗礼)会があるのだが、受ける方はちょっと足に不自由がある方だ。でもって、20年以上前に建てられたこの教会はあまりバリアフリーのことを考えていないので、足が不自由な人にはちょっとしんどいかも。
いっそ、もうちょっと新しい米子の教会でやるかなあ。
ほんとは10日が〆切だったのだが、 機内や電車内で片付けきれず、日曜日には手が出なかったので 今日になってしまった。
お姉ちゃんたちが部活に行っている間、 私はこもって原稿を書いていた。 くたびれた。
スケーラブルな言語。重要なファクターである。
だいたい納得できる品揃えなんだけど、 この人は静的型を(私よりもずっと)重要視しているみたい。 確かに型でエラーを見つけてもらった方がずっと楽なのは認めるんだけど。
なぜ、私は静的型を重視しないのか改めて考えてみた。
きっと、私はスケーラブルであることよりも 簡潔である方を好むからなんだろう。 Javaのような型情報をたくさん書かなければならない言語では (よく考えてインタフェースを配置しなければ)柔軟性も高くないし、 型推論のある言語では明示的な型宣言は少ないけど(それでも引数には書かないといけないことが多い)、それでもなんか固いし。
ソフトタイピングという技術もあるそうなんだけど...。
でも、シグネチャベースで動的にチェックしてくれるオプショナルな「型」なら あっても邪魔にならないかもしれない。 lintみたいな使い方になりそうだけど。
Lisp仙人、竹内先生によるスライド。
こういうのを見るたびに断絶を感じる。もったいない。
Rubyが、Lispの持っていたパワーの一部を大衆に紹介できたことは うれしく思うが、結果的にLisp自身がそれを行うことを邪魔したと言えないこともないし、 またLispのすべてのパワーを紹介できたわけではないので、 その点については心苦しく思う。
安彦先生、厳しいですなあ。
「ガンダムは実にミステリアスな体験でした。なぜ、これほど支持されるのか。なぜ、これほど長命なのか、その理由は本当にわかりません。私は改めて見る勇気がなくて…。ただ、仕事上、どうしても見ることもありますが、お粗末ですよね」
──そうでしょうか
「日本のアニメ、いわゆるジャパニメーションの特徴なのですが、品質的には良くなくても妙に人の心をキャッチするというのか。それが日本だけではなく、海外でも受け入れられ、世界に冠たるジャパニメーションと呼ばれているわけです」
でも、なんか分かる気がする。我田引水しちゃうと 私のRubyに対する気持ちもちょっと似てる。
Rubyは実にミステリアスな体験でした。なぜ、これほど支持されるのか、その理由は本当にわかりません。仕事上、どうしても見ることもありますが、お粗末ですよね
品質的には良くなくても妙に人の心をキャッチするというのか。それが日本だけではなく、海外でも受け入れられ、世界に冠たるRubyと呼ばれているわけです
日々、Rubyの穴を埋めることを考えてる身からだと 欠点が一杯見える。でも、世界中の人が支持してくれる。 講演とかがあれば、理由を推測して語ってみせてはいるけれど、 本当のところは私にも全然分かってない。
先日に引き続き、某雑誌のためにライターさんから取材を受ける。
「クリスチャンとしての私」と「プログラマ(言語デザイナ)の私」の関係に 関心を持たれたようで、かなりの時間を教会とかの生活について 話す。そういえば、こんなに教会関係の話を(教会員でない人に)話すのは久しぶりな感じ。
宣教師時代の経験とか。
宗教って微妙な題材だと思うんだけど、いいのか? 私としては、これも私の重要な一部なので、ありがたいと思ってるけど。
妻にも電話で取材をしていた。 内容は聞かなかったのだが、後で聞いたところ、 「彼は『4840196832』のトニーに似ている」と 言ったのだとか。確かに最近その本読んだっていってたな。
そうなの?
私、生粋の日本人なんだけどな。いや、日本人的でないところもあるか。 空気読まないこととか。
昨年、宮崎で行った人工知能学会での講演をご覧になっての感想。
プログラミング言語Rubyは、プログラマーに「自然なコーディング」を許容するために設計された「人工知能」なのだ、と。
どこでどういう省略記法を許すか、という規則を実装したパーザーはルールベースで作り込まれているはずなので、言語を作っている側は人工知能だと思わないで作っているのでしょうが、実務の文脈でいかに自然な記述を許容するか、一つ一つ職人芸で仕様を選択した結果は、「高度な手作り人工知能」と言えるのかも。
人工知能としての自然言語処理技術では「人間がやりとりする言語のコーパスを集めて、それをどう処理したらいいか検討する」ということが行われるわけですが、「プログラミング言語が使われるシステム開発の現場のコーパスを集めて、それを効率よく記述できるプログラミング言語を設計する」ということがもしきちんと行われたら、Ruby のような言語はもっと工学的に設計できるのかも知れません。そのときに重要なのは「集めるコーパスにリアリティがあること」ではないでしょうか。
そういう発想はなかった。Rubyは人工知能なのかあ。