森博嗣が5年後に引退するという話。
なんか期限を決めて引退とか、あんまり想像できないな。 どういう感覚なんだろう。
小説家とプログラマは、元手がほとんど要らない点や、 ひとつの世界をゼロから創り出すという点で よく類似しているような扱いを受けるし、 私も類似点はあるのだろうなと思う。
しかし、こうしてみると相違点もあるかもしれない(私は小説家の実体はわからないけれども)。
「作品」としての小説とソフトウェアの最大の違いは、 やはりその手離れの良さだろう。 普通、小説は一定期間で完成し、一度完成したらほとんど手を入れることはない。 出版後に小説に手を入れることは、それほど多くはない(ようだ)。 たとえば、井伏鱒二が「山椒魚」の末尾を削除しちゃった話は有名だけど。
小説も改版のときに少々直しを入れることはあるらしいけど、 ソフトウェアほどではないだろう。
一方のソフトウェアは、手離れが悪い。 私がRubyの開発を14年も続けているのなんてその最たる例だろう。 公開しながら14年間もほぼ毎日手を入れるような例が小説にあるとは思えない。
また、結果のコントロールしやすさという点でも、 小説とソフトウェアは異なる。 小説を読んだ結果というのは、読んだ人がどう感じるかというのが 一番重要なことだと思うが、同じ本を読んでも感じ方は一人一人違う。
一方、ソフトウェアは結果を「再現」するものは 再現性の非常に高いコンピュータである。 基本的にソフトウェアは作者の意図通りに動くはずだ。 バグがなければ。そしてバグがないことは滅多にないけれども。
というわけで、小説とソフトウェアは作品としての性質は結構違うという話。
でも、世界を創る「万能感」が動機になってるところとかは、 「小説家」と「プログラマ」はやっぱり結構似てるかもしれないけどね。