二番目の妹のところに女の子が生まれた、と聞いた。 めでたい。本当に「女の子は早生まれがトク」かどうかは知らないが、 はからずもそうなったね。
これで、一族が、えーと、何人になったんだっけ。
関数型言語アレルギーを克服すべく勉強しよう、というリンク。
でもねぇ、なんだろう、この理解できなさは。
絶対、先入観が原因だと思うんだけどな。 OCamlならそんなに「普通の言語」から遠いはずはないし。
実はOCamlのソースコードは読んだことがあるのだが、 そっちはすんなり読めたという。やはり、C言語だから? どんな言語でも内臓は大差ないから?
私の理解できない世界があるということは、なんとなく分かった。
あまりお近づきになりたくない気もする。
追記:
「お近づきになりたくない」だけではあんまりなのでもう少し考察してみた。
なぜ、「お近づきになりたくない」かというと、あまり知性が感じられないからだ。 暇なのは分かるが、それを検索エンジンに愚痴られても。
が、そこは我慢してもうちょっと考えてみよう。
なぜ知性を感じないかというと、我々が理解している検索エンジンの仕組みを考えると 「暇」とか「つまんない」とか言われても、それは検索語としてまったく意味がないからだ。
が、上の事実は、世のケータイユーザの大半は検索エンジンがどのようなもので、 どのようなテクノロジで動作していて、 どのような検索が得意なのかということについて、 まったく知識がなく、想像力も働かないことを意味している。
長らくPCを中心としたコンピュータテクノロジは、
くらいに分類されるユーザにリーチしていた。
しかし、ケータイの普及により、新しい層が登場してしまった。 すなわち、
彼らは(過去の経緯を)なんにも知らないし、 知ろうともしないから、過去の文化を尊重することもないし、 新しい慣習(場合によっては迷信)を作ってしまう。 しばらく前に話題になった「読み逃げ」なんかはその例だろう。
「読み逃げ」は、話題のきっかけになったOKWebの質問は「釣り」だったけど、 そういう文化があるのは事実のようだし。 あと、バトンとか。最近では変なタイトルを使う「悪質」なものも登場している。
もちろん、以前にもこういう迷信を支える層は存在していたけど、 割合としてはごく小数だったし、 PCというのは「分からないままなんとなく使う」には難しすぎるツールだった ので、大勢に影響することは決してなかった。
が、今やこの層が国内だけでも数百万人である。
これだけの人数が持つパワーを考えると、 なにか「手を打つ」必要性もあるのかもしれない。
言語オタクの立場からだと、思いつくのは ケータイユーザ用スクリプト言語?
なにそれ。