おとといのエントリに対して、 小飼さんから反応をいただく。
読んでまず、私の表現の不備に気がついたので訂正しておく。
オープンソース・エコシステムによって再生産的に開発されているオープンソースソフトウェアはまだほとんどない
この表現は自明ではないし、実際に小飼さんにも私の意図とは違う読み方をされてしまった。 これは私の落ち度だ。
私の意図は、「コミュニティから草の根的に発生したのではなく、オープンソースビジネスを標榜する企業によって主体的に開発がスタートされたオープンソースソフトウェア(で、成功したもの)はほとんどない」ということだった。前のエントリで「オープンソース・エコシステム」という言葉に対して「ビジネス臭」を強調していたのは、オープンソース企業を強く意識してのことだ。ビジネスが関係ないなら「フリーソフトウェア・エコシステム」と呼んだことだろう。
さて、訂正したところで続きを論じる。
小飼さんは
「だいたいなんでオリがこんなこと言わなきゃならないんだYo?」を「わかってもらえ」なかったことだけが悲しい。
と述べておられるが、正直な話、私にはわからない。わかってあげられない。 小飼さんは「なんでこんなこと言わなきゃならない」んだろう。
あのEntryは「John Orwantが投げつけたマグカップ」と同じだ。必要だったのは結論ではなく疑問の提示だ。
とおっしゃっているが、その疑問とはなにか。
John Orwantは「Perlの開発が停滞している」ことを劇的な方法で示すためにカップを投げたそうだが、 小飼さんがあそこまで怒って(or 怒ったフリをして)表明したかったモノはなにか。
わからない。
いや、表面的には全くわからないでもない。
すでに「コーダーのためのガード下の焼き鳥屋」はヴァーチャルにもリアルにも存在する現在,必要なのは「あたたかい理解」ではなく、「冷たい現実の認識」ではないのか?
とある以上、「コーダーよ、現実を認識せよ」ということが言いたいのだろう。 が、コーダーは現実を認識していないのか。本当に?
あるいはコーダーに「冷たい現実の認識」がなかったとして、 それは問題を引き起こしているのか。本当に?
私にはそういう意識はない。自覚がないのが問題だ、と言われると返す言葉がないのだが、 それならそれで「これこれこうだから問題だ」と指摘してもらえると、 「問題」に対処できるようになるのでありがたい。
この一件に関して私が認識できる問題があるとするならば、 それは「わかってもらえない」ことにあると思う。 この「わかる」は「理解する」よりもむしろ「共感する」の方の「わかる」である。
Tachさんも言及していたが、 コードを書く人間はコードを書かない人間のことがある程度「わかる」。 しかし、コードを書かない人間のほとんどはコードを書く人間のことが「わからない」。 が、オープンソース・エコシステムにおいてコード(を書く人間)がクリティカルな要素である以上、 ビジネスの論理、スーツの論理で口出しするのは生態系をゆがめかねない。
私は、三浦さんはそういうことを意識して発言したのだと推測するし、 その発言には共感できる。 で、今回の小飼さんの発言「コードだけでOSSの世界が回ると思ってんのか」からは、 それでなくてもエコシステムの中で搾取されがちなコーダーの気持ちを 共感してもらえてるとは感じられない。
それは問題ではないのか。 実際に小飼さんが共感しているかどうかは別として、そういう印象を与えてしまうということは。 コーダー(ギーク)が「スーツに共感してもらっている」という印象を持てるということが、 オープンソース・エコシステム全体に対して有益だと思うのだがどうか。
知らない人もいるかもしれないけど、私は小飼さんに何度も会ったことがあるし、 ある程度小飼さんがどんな人間なのか理解しているつもりだったから、 この発言には少なからず驚いている。 私と小飼さんはある程度「似た者」だと思っていたから。
違いと言えば「私はRubyで小飼さんはPerl」、「私はビンボーな雇われで、小飼さんはリッチな経営者」というところか。前者はともかく後者はあまりにも大きな違いかもしれないな...。
最後に、私の自明でない表現から生まれた部分なので本筋とは関係ないのだが、 重要なので述べておく。
Matz wrote:
エコシステムがなくなってオープンソースソフトウェアがビジネスに使われなくなったら 致命的かというとそうでもない。プログラマにとってエコシステムはクリティカルではない。もしこれが正しければ、世のソフトウェアは「俺ウェア」だけでいいということになりはしないか?ただネットにソースを転がしておくだけでも費用は発生しているのである。
大多数のフリーソフトウェアの本質は「俺ウェア」ではないだろうか(その定義はよくわからないけど)。 「俺が作りたいから作る」、「俺が使いたいから使う」、「俺がバグを見つけたから直す」...。
が、フリーソフトウェアでないソフトウェアも数多くあるだけに 「世のソフトウェアは俺ウェアだけでいい」というのは広すぎる言明だと思う。 また、フリーソフトウェアの開発・保守に費用は発生しているのは確かだが、 現実を見るとその費用の相当の割合は開発者自身が負担している。
オープンソースビジネスとえらそうに言いながら、 そのほとんどの実態はすでにあるオープンソースソフトウェアを利用するだけ、 改めて開発を支援することなどしない、という企業*1が数多くある中で、 これ以上開発者に「冷たい現実を認識」させてなにがしたいのか。
追記
ありえる別の問題としては「コードのことしかわからないのに付け上がるプログラマ」というのも あるのかもしれない。が、それはそれ、ビジネスとして接する場合にはビジネスのルールに従うことになるので、ビジネス上は淘汰されるのではないかと(お金を持っている人のほうが強い)。ビジネスと関係ない領域であればプログラマがいくら「付け上がっても」放っておけばよいわけで。
業務連絡。
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*1 もちろんオープンソースソフトウェアを単に利用するだけでなく、きちんと支援している優良な企業もある。多くないけど。
ゴールデンウィーク前の記事だが、風邪引いたりして紹介するのをすっかり忘れてた。
ソフトイーサで一躍有名になった登くん率いるソフトイーサ社が山崎マキ子の『...ってこんな仕事』のインタビューを受けてます。
って、共同溝に入ってるし。 私が若い頃は「共同溝に入ると除籍」、「松見池の鯉を食べると除籍」、「...すると除籍」と言われていたものなのだが、時代は変わった。
それはそれとして、卒業以来すっかり縁遠い母校筑波大学ですが(卒業後2回しか行ってない、はず)、 今年は新城くん*1の紹介で集中講義を行います。期間は夏休み中の7月。2日間の予定。
さて、なんについて話したもんだか。
*1 同級生で生年月日も同じ。だが、新城先生と呼ぶべきか
小飼さんからお返事。
「コードも書かない人に言われたくはない」というのは、中坊のころの私だ。受け入れてくれる人たちの手まではねのけていた、あの頃の私だ。
要するに「コードを書かない人の中にもわかってくれる人はいるよ」という意味? まさかそんな単純なこと?
いや、そんなことかも。
でも、私も(おそらく三浦さんも)そんなことはとっくの昔にわかっているんだけど。 小飼さんは三浦さんを知らなくて「15のあの頃の自分と同じだ」と感じちゃったってことなのかなあ。
もちろん「コードを書かない人の中にもわかってくれる人はいる」んだけど、 どーしてもわかってくれない人もいて、 えてしてそういう人の方が力を持ってたりするんだよ。
だから、「コードも書かない人に言われたくない」ってのは、 わかってくれる人も一緒に切り捨てちゃうので問題がある表現ではあるけど、 そう言いたくなる気持ちというのもまた同時に存在するのだ。 私は、この発言は「15の夜」の発言ではなく、 大人の折衝に疲れた「30の夜」の発言だと思う(いや、40でもいいけど)。
だから、私としては代わりにこう言うのだ、 「コード書きの気持ちがわからないとオープンソース・エコシステムで成功できない」と。
ま、それが事実かどうかはともかくスローガンとして。
深夜(というか、早朝か)完了。
前からちゃんと文章にしたいと思っていた
などについて書けたのは個人的にはうれしい。 が、記事としてみると限られた紙面(8ページ)には詰め込みすぎだったかも。