プレゼンの準備と講習会の準備(とLinux Magazineの原稿書き)で大変忙しい。
みなが慌ただしく仕事をしているさまは、まるで学生時代の文化祭の前夜のようだ。 なかなか楽しくはあるが、くたびれるものである。
しかし、今回一番大変なのは、いきなり講習会講師が降ってきた前田くんと、 プレゼン担当になった西田くんだろうなあ。
Digital Rights Managementについていろいろ言われているが、 純粋に消費者の立場からちょっと考察してみよう。
重DRMはためにならない
コンテンツを保護したい立場からは、再生回数やコピー回数を限定でき、 認証を行わない人はいっさいアクセスできないような重DRMがお好みらしい。 まあ、わからないでもない。 が、どんなに厳重にプロテクトをかけようと、 人間の目や耳に入る時点ではプロテクトを解除しなければならない(人間はプロテクトされた情報を直接取り込めない)以上、どうやっても完全なプロテクトは不可能だ。 オーディオ出力端子から録音することや、プレイヤーの画面をキャプチャするソフトはすでに存在している。 どんな種類のプロテクトを用意しようとも、本当に破りたい人は破ってしまうのだ。
カジュアルコピーを避けるためにある程度のプロテクトを導入すると言うのは分かる。 が、それならば、制限の少ない軽DRMに限定するべきではないだろうか。あまり大がかりなDRMを導入して、 コピーワンスとか消費者の利便性を下げるのは、長い目で見て消費者離れを引き起こすだけではないか。
また、重DRMは「お前は泥棒だ」「信頼できない」と言われているようで気分が悪い。 もちろん、中には信頼できないユーザもいるかもしれない(というか、いるんだけど)。 しかし、世の中のほとんどの仕組みは「人々はおおむね信頼できる」ことを前提に設計されている。 コンテンツ業者だけから強烈に不信感を持たれるのは愉快ではない。
禁止すべきものとそうでないものを明確に
コンテンツ権者は我々に「カネを払う」ことと、 「コンテンツを一瞬楽しむ」ことしか許す気はないのだろうか。
裾野を広げることを考えると、コンテンツはできるだけあちこちで露出した方が望ましいように思う。
問題は、費用をかけて作り出したコンテンツが、完全な状態で無償で流通し、 費用が回収できないこと(だけ)ではないか。
不特定多数への放流を明確に禁止して(もちろん「不特定多数」の定義も明確にして)、 あとは今までの「所有モデル」を保存するのがよいのではないだろうか。 もちろんコピー自由なデジタルデータの「移転」は不可能なので、 その点の制限が生まれるのはしょうがないと思う。
オープンソースと仲がよいDRMを
そんなものが本当に可能なのかよくわからないのだが、 公開鍵暗号とウォーターマーキングを組み合わせれば、 軽DRMくらいは可能な気もしないでもない。
というわけで、世の中の識者は制限を増やさない方向でDRMを考えられないものかと。 具体的にどんなDRMがありえるか、については、いつか考察してみたい。 現時点では知識が足りない気味。