先日のシュマイザー訴訟の件ひとつとっても、 どの報道を読むかによって、印象がまるで違う。
たとえば、NIKKEI NET。
モンサント、遺伝子組み換え作物特許訴訟で勝訴
【ワシントン=吉田透】米農業バイオ大手モンサントが、同社開発の遺伝子組み換え作物の特許を侵害されたとしてカナダ農家を相手取って訴訟していた問題で、カナダ最高裁は21日、モンサント側の主張を支持する判決を下した。
<中略>
特許の有効性を巡り係争していたのは、モンサントが開発した除草剤耐性を持つ遺伝子組み換えナタネ。カナダ・サスカチワン州の農家が同社に特許使用料を支払わずに組み換えナタネを栽培していたとして、1997年に訴えていた。
モンサントが勝訴した点と、 「同社に特許使用料を支払わずに組み替えナタネを栽培していた」という内容からは、 シュマイザーさんの主張はまるで読み取れない。
一方、HotWiredの記事は、 もっとシュマイザーさんに同情的だ。
遺伝子組み替え訴訟:カナダ農家、最高裁でもモンサント社に敗訴
Kristen Philipkoski2004年5月21日 9:44am PT カナダ最高裁判所は21日(米国時間)、農業ビジネス大手の米モンサント社が、自社が特許を保有する遺伝子組み替えカノーラ[食用油をとる菜種の一種]の種を自分の畑に蒔いたとされる農家に対して起こした訴訟で、原告側の訴えを認める判決を僅差で下した。
<中略>
敗訴したものの、シュマイザー氏は個人的には勝利だと述べている。最高裁が今回、同氏は種から利益を得ていないという判断もあわせて下したからだという。シュマイザー氏は、訴訟費用と種から得た利益としてモンサント社から20万ドルを請求されていたが、これを払う必要はない。
「真実はいつもひとつ」なのかもしれないが、それに手が届くとは限らない。 あるいは「いつもひとつ」ではないのかもしれない。
特許が実におかしなものに思える理由はこういうことじゃないでしょうか。つまり、特許を取った人がやったことや特許そのものを見ることで、それと同じアイディアを模倣した場合、模倣行為に制限がかかったり、お金を請求されたりする。これはまだ分かります。でも、何も見てないのに、真似しようともしてないのに、やったら似たようなアイディアになってしまった、それだけで訴えられる場合があります。そして、こうやって現実に裁判で負けちゃったりするわけです。
見ないで同じものが出来てしまうのであれば、最初の発明者が公開してようがしてまいが関係ないわけで、特許権が及ぶのはまさに不合理ですね。
確かにソフトウェア開発者としては同意できる意見だ。でもって、私の立場からは
逆に言えば、「アイディアを故意に盗んだことが証明できなければ、特許による独占権を発動できない」ことにすれば、特許もそう悪いものではないのかな?
にも同意したい。
でも、権利者の立場から言えば、「それでは盗用して偽装した人による侵害から保護されない」ということになるような気もする。ならば、
くらいならどうだろう。後者は弁理士の仕事を阻害しそうだが、 特許という権利が有効に働くためにはそれくらい必要な気がする。 現在弁理士の方には国家公務員になっていただくということで(いいのか、それで)。
誰がコードを導入したかの責任をとるプロセスを明確に文書化するというお話。
FSFがコードのコントリビューションに文書を要求するので面倒だと思っていたのだが、 とうとうLinuxもそうなってしまった、ということか。 オープンソースソフトウェアが社会的に重要なプレイヤーになるにしたがって責任も増すということなのだろう。 嬉しくないが、受容しなければならない変化なのだろうか。
とはいえ、Linuxだけでなくすべてのオープンソースソフトウェアにそのようなプロセスが必要、 という話になるとかなりイヤだな。Rubyとか権利関係が(とくに著作者人格権に関して)怪しい部分があるものな。
以前の牧歌的な開発が懐かしい。
nisさんからツッコミをいただいた。
特許は無料で検索できませんか? 特許庁や、US Patent Officeで。
でも、実際に専門家の話を聞くと、無料の検索では十分に見つからないので、きちんと調べようと思うと、結局それなりのコストをかけて弁理士なり知財部門なりに依頼する必要があるようです。たとえ、相当のコストをかけて専門家に依頼しても、たとえば「Rubyのどこかが既存の特許に抵触していないかどうか」という調査が可能かどうか自信がありません。
どうすれば産業や社会に貢献する発明を促せるか、というところから出来たのが発明者の権利を守るための特許法ですよね。そういうルールとインセンティブの構造を作ったうえで、みんなで競争して知恵を出そうと、やってきているのに、「ルールがあるなんて知らなかった、前例があるなんて知らなかった」がまかり通るのでは困りませんか?
私は特許の理念まで否定するものではありません。理想は素晴らしいと思います。
ですから、別に「前例があるなんて知らなかった」と言いたいわけじゃないんです。ただ、「訴えられない確信を得るためのコストが高すぎる」ということです。大企業ならそのコストを負担できるかもしれませんが、個人には無理です。 テクノロジーは個人にパワーを与えているのに、 法制度や経済情勢はますますビッグプレイヤー(大企業とか先進国とか)にだけ有利になっていくのは不合理に感じます。
そもそも既存技術、技術トレンド、他社の研究動向、特許申請状況を把握していないような技術者が、発明ができるようには思えません。
だったら良かったんですが、実際にはソフトウェアの分野では「特許申請状況を把握していないような技術者」が開発したものが、(結果的に発明になってしまって)他社の特許と衝突するケースがしばしばあります。
それは、
誰もが思いつくような発明に独占権を与えてしまうことがあるということが問題であって(FATファイルシステムとか)、発明登録制度自体に根元的な問題があるようには思えません。
ということで、 おっしゃる通り根源的な問題ではないのかもしれませんが、
という現状は、特許の理想を達成するよりも、他者の妨害(ひいては人類全体の進歩の阻害)に向かっているのではないかと思います。
また、知財部門を持ち、それなりに調査を行っているはずの企業間でも特許紛争が絶えないことを見ると、 すでに現在、特許申請状況を把握することは誰にも不可能になりつつあるのではないかと感じます。 膨大な数の特許それぞれのクレームの全容(しかもそれらは拡大解釈されうる)を把握し、 自分のプロダクトがそれら全てを侵害していないことを確認することは、確かに困難を極めそうです。 いや、はっきり言って無理でしょう。
もし仮に既存の特許の全容を把握することが不可能なのであれば、すべての開発者(発明者)は、 まだ見ぬ特許権者から訴えられないように祈るよりほか手段がなく、 それは特許の理念からかけはなれたものになるのではないでしょうか。
現状の制度の下でそういう事態を避けるためには、 特許検索の分野で大胆な改革を行うことしか思い付かないのですが。 それでも十分ではないかもしれませんけど。
「誰でも思い付くような特許」が認められてしまうことそのものが、 既存の全ての特許、また公知の全ての知識を検索することが現実的でないことの証拠のような気がします。