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Matzにっき


2004年04月21日 [長年日記]

_ 26歳のハローワーク

AERA 4月5日号の記事から。

この記事を読んだ当初の感想は、普通のオジサンが持つであろうものと同じ、 「勘弁してくれ」というものだ。 今ここにある自分を無視して、どこにもない「本当の自分」を探す姿は滑稽でさえある。 『青い鳥』でも読んでくれ、と言いたい。 ただ、そういう感想はこの記事を書いた記者の期待通り、あるいは思うつぼであろうとも思う。

しかし、この記事中のある一節

一方で、そのままでいいと言われても、いまの自分はまだ何者でもない。焦燥感もある。真のオンリー・ワンになる道は、ナンバー・ワンになるよりはるかに険しいこともわかっている。

を読んで、

「真のオンリーワン」なんてものは結局ナンバーワンのことだ。
そんなこと言ってる人は「オンリーワン」のことが分かってない

と語った妻の言葉を聞いて、このことについて改めて考えてみた。

確かに。「真の」とわざわざ強調する以上、「他に同じものがないくらい飛び抜けた存在」になることを 想定しているわけで、そのような存在になるためには他との競争を勝ち抜いて 「ナンバーワン」になる必要ありそうだ。

けれども「オンリーワン」という言葉は、

  • 世の中の人は一人一人異なっている
  • だからそのままでいい
  • 競争しようという発想そのものが不要

ということを伝えようとしているのではないだろうか。 「速いことを至上とするウサギとは違う生き方がある」と言い換えてもよい。 要するに、この記事を書いた人物は世の中に蔓延する「ウサギの論理」から自由ではなかった、 ということなのだろう。

勝つものがいれば負けるものもいる
負けたものはどうなる
負けたものには生きる権利はないというのか

考えてみれば、一握りの勝者以外はみなある意味敗者である。 勝者だけを目指す世の中は圧倒的多数が不幸な世の中ではないか。

とはいえ、競争社会を完全否定するつもりはない。 我々が目指すべきは、全力疾走で消耗することなく 地道に進み、最終的には勝利してしまう「カメの生き方」ではないだろうか。

というようなことを、Mozilla.Partyでの末松教授の言葉を読みながら考えたのだった。やっぱカメでいいわ、私は。


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