自分で運転して鳥取に行くのは初めて。鳥取支部は駅近くの比較的わかりやすい場所にあるのだが、 しっかり迷いましたとも、ええ。
MapFanを参照しようとするとマシンがハングするし。 Linux 2.6.2でもまだ私の環境では不安定な様子。
結局、2時間半ほどかけて到着。十分時間に余裕を見てたので間に合った。 しかし、長距離運転に疲れた。
聖餐会、お話のテーマは「預言者に従う」だった。私自身は「福音を宣べ伝える」。 あんまり得意なテーマじゃないんだけど。教義と聖約15章、16章を引用。
「扶助協会」と「若い女性」の姉妹たちからそれぞれお菓子をもらった。 そうか、バレンタインデーか。
あとは、世間話。
「パート1」はなかったような気がするが。
おとといは13日の金曜日であった。この日は「不幸がある日」として知られているらしい。 この日には重大な事故があったり、不幸な出来事が起きたり、 湖畔のキャンプ上でホッケーマスクをかぶった人物による連続殺人事件が起きたりするらしい。
みなさんのどころではどうだったろうか。不幸があった人も、幸福があった人もいるのではないだろうか。 そんなもんだ。
私が13日の金曜日について初めて知ったのは、まだ小学生のころ、 実家の倉に眠っていた古い「少年マガジン」を読んでだったと思う。 たぶん私は小学校低学年で、少年マガジンは昭和42年か43年頃のものだったような記憶がある。 その頃のマガジンは巻頭にかなりの分量の特集記事が載っていて、 ある一冊の特集が「世界の不思議と謎」とかいうようなテーマであり、 その中でネス湖のネッシーなどに混じって「13日の金曜日に重大事故や事件が多い」話もあったはずだ。
なんでこんなこと覚えてるんだ、俺。
そういえば、その時いっしょに読んだ別の号の特集記事では「魔球」かなんかの解説で、 「黒い秘密兵器」の分身魔球は
ボールが上下に素早く振動し、上のボールの影が下のボールにうつって下のボールが黒くなる
とか、無茶苦茶な解説がされており、子供心に「ありえね〜」と思った覚えがある。
13日の金曜日の話に戻ろう。私の高校受験は私立が2月13日の金曜日、公立が3月13日の金曜日で、 「不吉な」と思ったものの、考えてみれば受験生全員が同じだけ不吉なので、 別に有利でも不利でもないということに気づくまで、勉強に手が付かなかったものだ。 が、それでも高校にはしっかり受かったので、実際には全然不吉でもなんでもなかったらしい。
なんで13日の金曜日が不吉と呼ばれるかというと、この日にキリスト受難の日だからだそうだが、 普通「日と曜日」で指定しないんじゃないだろうか、とも思う。 もっとも復活を祝う「イースター」はもっと複雑なルール*1なのだが。
さて、グーテンベルグとカルビンやルターによる宗教改革のおかげで、 今や聖書は誰にでも手に入る。アマチュア聖書研究者には興味深いテーマだ。 福音書と若干の暦の知識を使って 本当にキリスト受難の日が13日の金曜日かどうか検討してみよう。
福音書から以下のようなことがわかる。
ユダヤ人たちの安息日は日曜日ではなく土曜日。
キリスト受難の日は安息日の前日。
過ぎ越しの祭の1日目と7日目は曜日に関らず安息日と見なされたが、この安息日の次の日は「週の最初の日」、 つまり日曜日なので、上記の安息日はただ単に安息日というだけでなく土曜日であったことがわかる。
これで「金曜日」は確定したと言ってもいいだろう。次は「13日」の方だ。 まず最初にはっきりとさせないといけないのは当時ユダヤ人が使っていた暦は太陰暦で、 今の太陽暦とは全然違っている。だから太陽暦による「13日」には元々なんの意味もない。
日付についても聖書からわかる。
その日は徐酵祭の第1日目であった。
「過越の小羊をほふる日」は正月の14日である。
出エジプト記12:6も参照のこと。
なんと、「13日の金曜日」ではなく「14日の金曜日」であったか。
ということで、以後不吉なのは14日の金曜日ということで、ひとつよろしく。
*1 イースターは春分の日後の最初の満月の次の日曜日、2004年は4月11日