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Matzにっき


2003年05月29日 [長年日記]

_ [映画]『アンブレイカブル』

『サイン』の次に妻が借りてきたのは『アンブレイカブル』だった。 それは私に対する挑戦かっ。あらかじめサイテーだって言ったじゃん。

で、感想を聞いたら、

だって。

いや、確かに『スパイダーマン』はマンガだ(言うまでもなくアメコミ原作だし)。 普通の高校生が遺伝子操作されたクモに噛まれて超能力を身につけるなんて 「そんなことあるかよっ」とツッコミをいれたくなるような話だ。

しかし、しかしだ、それと

  • マンガとリアルの区別もできないアメコミコレクター、サミュエル・L・ジャクソン
  • ご都合良く、理由もなく、マンガから抜け出してきたような能力を持つ男、ブルース・ウィリス
  • スペクタクルもカタルシスもない展開、しょぼい悪党
  • 映画の本質なのに、なぜ超能力があるのか一切説明されない、説明する気もない

ようなツッコミたくてもツッコミようがない映画と一緒にするのはマンガに対して失礼だというものだろう。 『シックス・センス』のようにラストのどんでん返しを狙ったのはミエミエだけど、 オチは少々意外だったのは確かだが、私にはおもっきり外したように感じられたなあ。

大傑作だとは言わないが、すくなくとも『スパイダーマン』の方がエンターテインメントに対して真摯だ。

もっとも、妻はマンガを軽蔑してるから、無理もないのかもしれないけど。

そんな彼女が映画館に『スパイダーマン』を見に行った理由は謎だ。 しかも、面白かったって言ってたよなあ。

_ [OSS]オープンソースの定義と思想

あまり戦線を拡大しても疲弊するだけなので、まず私の意見をまとめておこう。

まず第一にオープンソースの定義について。

私は「OSIマンセー」*1ではないと思っているのだが、用語の定義についてはこだわる。 定義が違ったままでは対話が成立しないからだ。 そして「オープンソース」という用語についてはきちんとした定義が与えられており、 それに従わない(≒合意を破壊する)のは対話を拒否することを意味しかねないからだ。 自分の意図を正しく伝えたければ、自分勝手な用語の定義を用いるべきではない。

オープンソースという言葉について誤解する人(あるいは誤解したい人)はいると思うが、 それはオープンソースという言葉の定義を好き勝手にしてよいという理由にはならないはず。 定義を知らない人には教えれば良いだろう。間違えた人には諭せばよいだろう。 そして、定義をねじ曲げたい人には抗議するべきだ。

次にフリーソフトウェアとオープンソースについて。

オープンソースの定義は客観的なものだ。 「思想が入っているからオープンソースとは呼ばない」というのは無意味だ。 あるソフトウェアがオープンソースかどうかは、 そのソフトウェア(のソースコード)をどう扱ってもよいかということ(つまりライセンス条項) から客観的に決められ、開発者の意図や思想とは無関係である。

一方、フリーソフトウェアの方はちょっと思想が入っている。 が、フリーソフトウェアは自動的にオープンソースになるようにOSDは定義されている。

では、フリーソフトウェアとオープンソースソフトウェアは違うのか。

ストールマン的には大違いであろう。 彼は「フリー(自由)」という言葉を手放すことは危険だと感じているからだ。 また、「オープンソース」という単語が利用者だけに都合が良い「無料でソースが入手できる」ことを 意味して使われるようになることを彼は危惧していた。

私は今までそれほど心配していなかった。OSDの定義を使う限り、 オープンソースという単語を使ってもソフトウェアの自由は保護されると思っていたからだ。 だから、「フリーソフトウェア」という言葉を使っても、「フリーソフトウェア」「オープンソースソフトウェア」という言葉を使っても、 結局は同じだと思っていたのだ。「無料」と誤解されるよりはずっといい、と。

しかし、この言葉が使われるようになって数年、いまだにこのようなことをわざわざ説明せねばならないようでは、 彼の危惧が当たっていのではないかと感じる。

あなたは本当にソフトウェアの自由はどうでもよいのか。

自由を実践していない「オープンソースソフトウェア」について。

あいかわらず、そんなものはごく少数だと思っている。 実際に自由を実践していない、ソフトウェアの自由なんかとはいかなる形でも関係のない、 「オープンソースソフトウェア」が無視できない数あるというのであれば、報告していただきたい。

そのようなものがないのであれば(ストールマンの危惧を別とすれば)、 フリーソフトウェアとオープンソースソフトウェアを区別する必要はないだろう。

ただ、「フリーソフトウェア運動」と「オープンソース運動」はまったく違うものであり、区別すべきだ、 ということは付け加えておこう。

最後に「思想」について。

どうも「思想」という言葉は忌避すべきものだととらえている人が多いのではないかと感じられる。 戦後日本の悪癖だろうか。って、自分自身が戦後日本の申し子のようなものだが。

しかし、人間は思想なしで存在することはできない。 本当に思想がないというならば、それは考えないということである。 ということは「ノンポリ」さえ思想である。

であれば、「思想」という単語に過剰反応するのは無意味であろう。 あと、「宗教」もそうなのだが、これについては今日は触れない。

*1 「OSIマンセー」ってOSI絶対主義ってことですかね

_ [OSS]42件の収束

もはや私は「42件」に興味はない。たださんの日記の記述で十分だし。

これからは6月の討論会に向けて

  • フリーソフトウェアの経済効果
  • 政府とフリーソフトウェア開発者とのかかわり

などのテーマについて考察していきたい。

まず、「作業メモとか考えた事とか(5月)」が 参考になるだろう。


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