今日は米子の訪問の割り当て。お話は「先祖の救いと神殿」について。 山口の姉妹から聞いた話、というネタを披露したのだが、弟には妻の話であったとわかったみたい。
監督さんと話したり、いくつか連絡をしてから帰る。
出発前だということで、実家によって父親から祝福を受けた。 文字どおり族長の祝福だな。
JAOOに出席すべく移動開始。成田で一泊。 でも、東京で泊まった方が楽だったなあ。
「議論のレベルのことを言いたかったのではありません」ということは、また読み違えたのですかねえ。すいません。
しかし、
確かに、普通の技術的なmatterであるならば、そういう素朴な問題提起は、たいした問題にならないのかもしれません。しかし、今回の場合は、企業間、国家間で、まさにドンパチやっている問題に対して、きわめてnaiveな(あえてこの言葉を使う) アンチパテントの主張を使って議論を呼びかけたのです。これが、日々、企業でソフトウェア技術者として生きているであろうと思われる参加者に対して (だって今は資本主義ですから)、ある種の踏み絵---ゲットリッチ(ほんとうにいやな印象を与える言葉)のために卑俗な独占欲を持つのはおよしなさい---を迫るのではないかということについて、認識が、あまりにも足りないのではないかと思うのです。
という懸念についてはまだよく理解してません。
結局、「アンチパテントの主張を使って議論を呼びかけ」ることで、 「参加者に対してある種の踏み絵を迫る」ことになり、 議論の場がアンチパテントな人だけが集まる場になってしまい、 結局「(ソフトウェア)パテントは悪」というその場限定のありきたりな結論が出てしまい、 議論が深まらないってことでしょうか。
でも、議論を呼びかけた人が明らかにアンチパテントだからと言って、 「参加者に踏み絵を迫る」ことになるとは考えていませんでしたし、 実際あきらかにそうなっているという印象は持っていません。
Wikiに集まった情報も役に立っていますし、議論のきっかけはともかく有意義な動きではないでしょうか。 私を含む参加者が特許そのものについてまだ知識が足りないことが目立つのはありますが。
私自身は「アンチパテント」という立場に決めているわけではありません。
というようなレベルです。ああ、やっぱりnaiveすぎ?
まだ火傷しそうなくらいホットな話なので、わざと抽象的に書かざるをえない。 読みにくいと思ったら読み飛ばしてほしい。
あるところで、ある人が別の人を非難した。 「別の人」には非難される十分な理由があると私も思ったが、 その非難の内容は感情的になったあげく言い過ぎがあるとも思った。
そこで、その場を管理する立場であった私は 「あなたのその非難は言い過ぎ」であり、 「(そういうことを言ってしまう)あなたの態度は間違っている」と批判した。
いや、批判してしまった。
ところが、私に批判されたその人は「その非難は言い過ぎ」の部分は耳に入らず、 「「あなた(の態度)は間違っている」とだけ受け取ってしまった。 その人は致命的に感情を傷つけられてしまった。
私の言葉に「私は正しい」とか「管理する立場だから」とかいう慢心があったことは否定できない。 間違っていたのは私の方だ。すまない。
追記:
マキャベリの言葉を突っ込んでいただきました。反省とともに聖書からも。
むしゃくしゃしてリリースした。 新しいものならなんでも良かった。
今は反省している。
今回はBasecampのおかげでだいぶ仕事がはかどったが、 時間に追われたのも事実だ。っていうか、パッチだけ出すので良かったのか?
次回(1.8.4)はもうちょっとうまくやれるようにしよう。
追記
上のように書いたら「本当にむしゃくしゃしてリリースした」と思う人が出る始末。 冗談も書けない。余計に落ち込む。
Open Source Development Labs(OSDL)のリーダーは米国時間9月20日、現行のGNU General Public License(GPL)の適用対象ソフトウェアが、現在策定中である次版のライセンスの適用対象ソフトウェアとどう関係することになるのかについて、 Free Software Foundation(FSF)は早急に説明する必要があると述べた。
しかしCohen氏とは異なる判断をしているMoglen氏は、この問題を明確にすることは当面ないだろうと示唆した。
Moglen氏はCNET News.comに対して、「GPLv3の最終的な条項が明らかにならないうちに、GPLv2の適用対象コードとGPLv3の適用対象コードとの関係についてコメントすることは、時期尚早であるというのが私の意見だ」と述べている。
OSDLの気持ちも分かるが、ここではFSF側の方が筋が通ってると思う。 このほかにもGPLv3に対して批判的な意見はたくさん耳にするが、 個人的にはv2とv3に互換性がなさそうな点が非常に気になる。
「any later version」オプションは大きな非互換性を仮定していないと思うのだけど。
OpenPNEにナレッジ・マネジメント機能を追加した商用SNS。
ライセンスに従っているのなら(サボってOpenPNEのライセンスを確認してないんだけど)、 別になんの問題もないのだが、興味深いのはその値付け。
各メンバーがそれぞれナレッジ収集・整理できる「ナレッジポケット」は初期費用110万円、年間保守費用24万円。管理者のみがナレッジを吸い上げて収集・管理する「ナッレジキャッチャー」は初期費用60万円、年間保守費用12万円。専用サーバのハウジングで月額10万円。
そうかあ。それだけ値段が付くものなのか。まあ、「ナレッジ機能」とやらのデキによるのだろうが。
以前からStringが行ごとに繰り返すeachをベースにしたEnumerableであるのは 使い出がない、と感じていたのだが、この度、思い切ってStringにEnumerableをインクルードするのを 止めてみた(1.9)。
とりあえず、手元にあるコードの範囲内ではStringにあるEnumerableのメソッドは使っていなかったみたい。なんのトラブルもなかった。もし、問題が起きたら、文字列を行ごとの配列に分解するlinesメソッドを新設したので、それをはさんでもらいたい。
string.max → string.lines.max
やっぱ、あのバイタリティにはかなわないよなあ。
なんだかひとつふたつ上の世代の業績とかを見てると 「とてもあの人たちにはかなわない」という気にさせられる。 もちろん時間をかけて積み上げてきたものがあるというのも事実だが、 それだけじゃない差を感じる。
うーむ。
あとRubyは型無し(Untyped)な言語で良いような気がする。
ふむ。Rubyにおいて個々のオブジェクトが持っている「アノ情報」のことは型とは呼ばない ということなんだね。それはそれでかなり抵抗があるんだけど、なんでだろう?
型というのはあくまでも式に付属するものであるという観点から考えると いっそ「型無し」と呼んでしまって安全とみなす方が自然なのかな。