というアーティスト(って呼ぶの?)がいて、歌ったりピアノを弾いたりするのだが、 この人、松江出身ということで地元FM局で取り上げられたりしている。テンポのいい曲を歌っていたような気がする。
これだけなら「そういうヒトもいるのね」で終わるし、実際昨日まではそう思っていたのだが、 なんとこの人、うちの娘の通う小学校の校長先生の娘さんなのだそうだ。なんと。確かに名字が同じ。
さっそく彼女のオフィシャルホームページを見てみたのだが、
...お父さんに似てなくてよかったね(笑)。
関空までのチケットを買ったり、コンタクトレンズを新調したり、散髪したりで お金を使う。いや、たいした額ではないのだが、貧乏症はお金使うたびにどきどきしちゃう。
私自身はビル・ゲイツをはじめとするマイクロソフト幹部がオープンソースを目の敵にするのを見て、 「意見は異なるが気持ちは分かる」と思ってきた。 彼らにとってはオープンソースと言うのは都合が悪いので、反発するのは当然だ。 彼らに対して別に怒りは覚えない。
しかし、このマクニーリーの発言は、もし伝えられている通りならば、かなり強い反発を覚える。
自らは「オープン」であることの重要性を唱えながら、
「顧客は互換性を求めている。彼らのだれひとり、オープンソース化を望んでいない。単にメディアが騒いでいるだけ」とマクニーリー氏は一蹴する。
という発言には、オープンソース化がもたらすもの、 すなわち「自由」の重要さはまるで眼中にないようだ。
しばらく前、専制君主はこう言ったであろう。
「臣民は賢明な統治を求めている。彼らのだれひとり、民主主義を望んでいない。」
そういう主張ならそれはそれで構わない。が、それなら自由の擁護者のような顔をしないでほしい。
追記:
通りすがりさんのツッコミ:
規格をオープンにする,という意味でのしばらく前に流行った「オープンシス テム」のコミュニティの盟主だと主張するのだったら,理解できるような気が します.
どうなんでしょうね。少なくとも「オープンソース」の「オープン」じゃないことは確かですが。
なんたって
ジョナサン・シュワルツ社長兼COOに言わせれば、MicrosoftはWindowsでデスクトップを支配し、Red Hatは「トリッキーな手」でLinuxを支配する、どちらもプロプライエタリな技術のベンダー。仕様を公開し、さまざまな実装の登場を促して市場を拡大してきたSunとは相容れない存在だ。
とおっしゃるわけだから。
あるいは、仕様をオープンにすることは「オープン」だが、 実装をオープンにすること彼らの定義では「オープン」ではない、とか。 実装オープンじゃ「さまざまな実装の登場を促す」ことにはならないものな。 そりゃ、Sunとは相容れないかも。
うーん、そんな会社じゃなかったと思ってたんだけどなあ。
ところで「トリッキーな手」ってどんな手?
追記2:
個人的には↓の意見に賛成。
http://diary.imou.to/~AoiMoe/2004.07/early.html#2004.07.02_s02
まぁ、Sunの発言にいろいろ突っ込みどころがあるのも事実ではあるのですが……。
Sunが「オープンシステムの盟主であった」ことは肯定します。 個別の企業にはそれぞれの折り合いの付け方があることも。
私はただ、かつてオープンシステムの盟主であったSunが、 オープンソースの波には乗り損ねて、 なお「オープンコミュニティの盟主」をアピールするのを揶揄しているだけですから。
乗り損ねたのなら(あるいは乗りたくないなら)、乗らなければ良い。 むしろマイクロソフトのように積極的にオープンソースに対立してくれた方が、潔い印象があります。
私は今はSunの顧客じゃないんで、それ以上は断言できませんが、 Sunのトップが「顧客は互換性を求めている。彼らのだれひとり、オープンソース化を望んでいない。単にメディアが騒いでいるだけ」と叫ぶのを聞いて、多くの人が思うのは、「ああ、そうか。Javaのオープンソース化は不要なんだ」じゃなくて、「ああ、そうか。SunはJavaをオープンソース化したくないんだ(理由は知らんけど)」じゃないかと感じます。
むしろ、そんな発言は顧客の声を本当に聞こうとする企業のトップからは聞かれないんじゃないかと思うので、 私はかえって「Sunは本当に顧客の声を重視しているのかな」という印象も持ちます。 確かに薄い根拠しかないですが、あくまでも印象ですから。
この記事を読んで、積極的にSunの顧客になりたいと思うようになった人って、いないんじゃないかなあ。 もちろん、記事というフィルタのせいであることは否定できませんが。
勢いのなくなった企業トップの発言は、SunにしてもSCOにしても、ツッコミどころ満載で読むのが楽しいものです。 SunとSCOを一緒にしたら迷惑に思うかもしれないけど(どっちが?)。
残念な結果であった。基本的なアイディアはともかく、 その表現と評価方法に難があったようだ。めげずに頑張ろう。
昨日のエントリでもすこし触れたが、 ブロックパラメータの文法を変更したい気持ちがある。 理由は、昨日述べた通り「メソッド引数リストと同じ文法を使えない」からだ。 yaccをあきらめてパーザをもっとずっと複雑にすれば不可能ではないかもしれないけど。
jijixiさんからツッコミでは(冗談とはいえ)、 Groovyの -> を逆輸入することが提案されていたが、これはあんまりうまくない。
新しい文法への要求としては
である。Groovyの -> はyaccを使う限り、2番目の要求を満たさないと思う。
ちょっと考えて思い付くのは以下のようなものか。
Perl6風無名関数
Groovy同様 -> を使うが、こちらは
-> (x,y) { ... }
のようなもの。Perl6では
foreach ary -> (x) { print x; }
という感じで使う。
こっちの方が見栄えがよいような気がするな。 でも、この場合、-> は引数リストと本体との区切りではなく「lambdaの代わり」になっているな。 ブロックとして使う場合は
{ -> (x, y) ... }
か。なんか変だな。
新しい予約語を使う
昔々、ブロックが導入される前のRubyの文法を検討したメモには「using」という予約語を使う文法を考えていたことが示されている。これを復活させるか。
{ using x, y; ...}
あんまりパラメータらしくないな。やはりメソッド引数宣言に似た文法(つまり括弧で囲まれているということか)が良さそうだ。
lambdaを拡張
結局、メソッド引数のすべての文法が欲しくなるのは無名関数の場合であって、 インラインブロックの文法は今のままで構わないというのもひとつの見識だ。
そこで、lambdaを予約語としてしまうのはどうだろうか。
lambda(x,y) {....}
インラインブロックでたとえばオプショナル引数が指定したい場合には、
foo(args, &lambda(x=15){...})
のように指定することになるだろう。こういうケースはまれだろうから、 積極的に短くすることを支援しなくても良い。
別の記号
しかし、それでもlambdaは長い。では、別の記号を導入するか。 先ほどのPerl6における -> でも良い。Haskellではlambdaはバックスラッシュを使っていなかっただろうか。
\(x,y) { ....}
うーむ、一目で意味が分からないぞ。慣れたらなんとかなるものなのだろうか。 また、フォントによってはバックスラッシュでなく円記号に見えるのもうまくない。
と、考えを撒き散らすだけで、結論はない。
ライセンスの懸念を解消するため、 missingの下にあるerf.cとcrypt.cを4.4BSDからのものに置換。 しかし、そのままではコンパイルできず各方面に迷惑をかけてしまった。
あ、crypt.cはともかくerf.cは奥村先生に連絡を取ってpublic domainの確認を取れば良かったんでないか。 今、気がついた。どうしたもんだか。
島根県立美術館でやっている『ミッフィー展』が終わりに近いので、 見学に行く。妻と息子は別の用事があったので、行ったのは、 私、長女、次女、三女、弟、弟の奥さん、弟の娘、息子の計8人。
ミッフィーシリーズは全20作もあったということも意外だったが、 現代になっても、コンピュータどころか、印刷の色指定さえ使わずに、 下書きをトレーシングペーパーで写したものを使って色紙を切り抜いているとは驚きだった。 4色しか使ってないんだもの、日本の印刷屋なら鉛筆でマークして、 「ここは何色」と指定するだけできれいに色分けしてくれると思うんだがな。
なんて、思っちゃいけないのが芸術というものであろう。 また、ミッフィーというキャラクターの微妙な変遷も興味深かった。 というか、初版とわれわれが知っている「うさこちゃん」の違いは微妙どころではないが。
今日の豆知識
後で聞いたら、ちょうど同じ頃、両親と妹夫婦も来ていたらしい。 すれちがったかな。
その後、弟家族が遊びにくる。昼食を一緒に食べ、子供たちと遊んだ。
B000BRYOAY
結婚して以来使っていた冷蔵庫がとうとう壊れてしまった。 冷凍庫が冷えなくなってしまったのだ。 パッキンがだめになっただけのような気もするが、 コンプレッサーの辺りから異音がするのも気になる。
もうずいぶん古いから、この機会に買い替えようということで、 電気屋へ。いろいろ悩んだ揚げ句、三菱のB000BRYOAYという機種に。 前の(330l)よりもずいぶん容量が増えることになる。
納品は火曜日。
もう7月だよ。時間がたつのが速すぎる気がする。
司会はビショップが引き受けてくださった。 私は日曜学校で教師、 「神権組織について」。
なんとなく蘊蓄っぽくなってしまった。 教会ではそういう知識偏重なやり方はやめようと思っているのに。