私自身はビル・ゲイツをはじめとするマイクロソフト幹部がオープンソースを目の敵にするのを見て、 「意見は異なるが気持ちは分かる」と思ってきた。 彼らにとってはオープンソースと言うのは都合が悪いので、反発するのは当然だ。 彼らに対して別に怒りは覚えない。
しかし、このマクニーリーの発言は、もし伝えられている通りならば、かなり強い反発を覚える。
自らは「オープン」であることの重要性を唱えながら、
「顧客は互換性を求めている。彼らのだれひとり、オープンソース化を望んでいない。単にメディアが騒いでいるだけ」とマクニーリー氏は一蹴する。
という発言には、オープンソース化がもたらすもの、 すなわち「自由」の重要さはまるで眼中にないようだ。
しばらく前、専制君主はこう言ったであろう。
「臣民は賢明な統治を求めている。彼らのだれひとり、民主主義を望んでいない。」
そういう主張ならそれはそれで構わない。が、それなら自由の擁護者のような顔をしないでほしい。
追記:
通りすがりさんのツッコミ:
規格をオープンにする,という意味でのしばらく前に流行った「オープンシス テム」のコミュニティの盟主だと主張するのだったら,理解できるような気が します.
どうなんでしょうね。少なくとも「オープンソース」の「オープン」じゃないことは確かですが。
なんたって
ジョナサン・シュワルツ社長兼COOに言わせれば、MicrosoftはWindowsでデスクトップを支配し、Red Hatは「トリッキーな手」でLinuxを支配する、どちらもプロプライエタリな技術のベンダー。仕様を公開し、さまざまな実装の登場を促して市場を拡大してきたSunとは相容れない存在だ。
とおっしゃるわけだから。
あるいは、仕様をオープンにすることは「オープン」だが、 実装をオープンにすること彼らの定義では「オープン」ではない、とか。 実装オープンじゃ「さまざまな実装の登場を促す」ことにはならないものな。 そりゃ、Sunとは相容れないかも。
うーん、そんな会社じゃなかったと思ってたんだけどなあ。
ところで「トリッキーな手」ってどんな手?
追記2:
個人的には↓の意見に賛成。
http://diary.imou.to/~AoiMoe/2004.07/early.html#2004.07.02_s02
まぁ、Sunの発言にいろいろ突っ込みどころがあるのも事実ではあるのですが……。
Sunが「オープンシステムの盟主であった」ことは肯定します。 個別の企業にはそれぞれの折り合いの付け方があることも。
私はただ、かつてオープンシステムの盟主であったSunが、 オープンソースの波には乗り損ねて、 なお「オープンコミュニティの盟主」をアピールするのを揶揄しているだけですから。
乗り損ねたのなら(あるいは乗りたくないなら)、乗らなければ良い。 むしろマイクロソフトのように積極的にオープンソースに対立してくれた方が、潔い印象があります。
私は今はSunの顧客じゃないんで、それ以上は断言できませんが、 Sunのトップが「顧客は互換性を求めている。彼らのだれひとり、オープンソース化を望んでいない。単にメディアが騒いでいるだけ」と叫ぶのを聞いて、多くの人が思うのは、「ああ、そうか。Javaのオープンソース化は不要なんだ」じゃなくて、「ああ、そうか。SunはJavaをオープンソース化したくないんだ(理由は知らんけど)」じゃないかと感じます。
むしろ、そんな発言は顧客の声を本当に聞こうとする企業のトップからは聞かれないんじゃないかと思うので、 私はかえって「Sunは本当に顧客の声を重視しているのかな」という印象も持ちます。 確かに薄い根拠しかないですが、あくまでも印象ですから。
この記事を読んで、積極的にSunの顧客になりたいと思うようになった人って、いないんじゃないかなあ。 もちろん、記事というフィルタのせいであることは否定できませんが。
勢いのなくなった企業トップの発言は、SunにしてもSCOにしても、ツッコミどころ満載で読むのが楽しいものです。 SunとSCOを一緒にしたら迷惑に思うかもしれないけど(どっちが?)。