総務省中国総合通信局主催のセミナー。
IPAの田代OSSセンター長をはじめとするいろいろな方がいらっしゃって セミナーを開催していただけるとはありがたい限り。
でも、遅刻してしまった。
個人的に面白かったのは「Rubyで固い開発」の経験談であった。
Rubyで
の開発なんて、以前に誰もやったことのない未踏領域ではないだろうか、と。 興味深い。が、ただそれだけでない政治的な話までいろいろありそうだ。
夜の懇親会まで呼んでいただいた。
月曜日の梅田さんとの対談に出席された谷島さんのコラム。
私、谷島さんとは面識があると思いこんでいたのだが、 それは実はコラムを通じて「知った気になっていた」らしい。 これだから。
で、まあ、全体を通じていろいろと面白い(が、対談の内容には触れていない)コラムなのだが、 なんとも興味深かったのはここ。
まつもと氏が自然体でありながら,その難事(「自分の幸せを貪欲に追求する,つまりわがままを押し通す」こと)をやってのけているカギは,おそらく彼の信仰にある。梅田氏は1回目の対談で遠慮しつつ,その点を質問していた。自分が永遠に到達できない圧倒的な存在を信じればこそ,自立と自助が可能になる。
そうなのか。
日本には確固とした宗教を持つと公言する人が少ないこともあって、 結構ひんぱんに「Rubyの設計・開発と宗教の関連」について聞かれるが、 いつも「私にはよくわからない。けど、たぶんあまりない」と答えてがっかりされる。
関係が全くないとは断言しないが、 あると答えるもの難しい。
まず、第一に私は幼いときからクリスチャンであったため、 「クリスチャンでない自分」を想像できない。 まったく違った人生を歩んだであろうことは想像にかたくないが、 あまりにも違っていそうで、想像もつかない。
次に、いくら日本にクリスチャンが少ないといっても、 すべての宗派を合計すれば、それでも数十万人はいるはずだ(もっとかな)。 私の教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)に限定しても 万単位でいるはず。
もし私の宗教や信仰とRubyやらオープンソースコミュニティの成功が 関係しているのだとしたら、 日本中に(あるいは世界中に)クリスチャンがリードする成功したオープンソースソフトウェアが 蔓延しているのではないか。
それはそれでうれしい世界だが、寡聞にして クリスチャンがリードした成功したオープンソースソフトウェアがたくさんあるとは 聞いていない。
私の知っている範囲内で、自分が信仰があると公言している 「有名な」オープンソースソフトウェア主要開発者は、 私とLarry Wallくらいではないかと。
LinusやStallmanは無神論者だと自称していたような気がするし。
とはいうものの、「難事をやってのけているカギ」が信仰にあるとは 今まで考えてもみなかった視点であるし、 もし本当にそれが真実であるとするならば、これほどうれしいことはない。