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Matzにっき


2007年12月06日 [長年日記]

_ 取材

笹田くんとふたりで某ウェブマガジンの取材を受ける。

リリース間近の1.9の話題ということだが、 止められないので、あちこちに寄り道しながら適当に話をする。 途中で1.9の仕様議論が始まったりして。

取材終了後、昼食も一緒に食べ、 大変楽しい時間を過ごさせてもらったが、 うっかり時間を忘れてしまって、 飛行機に乗り遅れた(またかよ)。

最終便でなくて本当によかった。

_ 2007-12-04(火) - 丸い地球と静かな月、蒼ざめる太陽

梅田さんとの対談に関連して、 筑波大学評が面白かった。

筑波大学は微妙なランクづけの大学です。

(中略)

というわけで、筑波大の男性と女性は、おのずと仲良く暮らして共存するしか道はなく、身近にいる、自分と同じくらいのレベルの身なりの田舎の学生である同級生や先輩・後輩などと健全におつきあいするのでした。

そうして、全体的にのんびりとした人格形成がなされ、

遊ぶ場所もないからひたすらに好きなことに没頭して、

(まつもと氏の場合はプログラミングだったのかも。

純粋培養の中で、おひとよしで、利害関係にもうとい、でも専門分野にはやけに強い人間がつくりあげられてゆくのでした。

私の人格に筑波大学らしさが反映されているかどうか、 自分ではよくわからないんだけど、 「おひとよしで、利害関係にもうとい、でも専門分野にはやけに強い人間」 というのは当たってると思う。

いや、私は高校時代からそうだったような気がするけど、 そうだとしても自分にふさわしい大学を選んだのだと思う。

でも、そういうのって、日本だと東京とかの一部の都会を除くと ごく当たり前なんだと思うけど。

それはともかく、 東京の雑踏とかに立つと、 なんとなく「激しい生存競争」を連想させて げんなりする。「私はここにいるべきじゃない」と強く感じて 田舎に帰りたくなる。

シリコンバレーに行っても、ほかの誰かみたいに「こここそ天国」とは 感じなかったのは、アメリカに付き物の「生存競争の臭い」がしたからかも。

_ 私のような仕事につく方法

Aaron Swartzの講演録。 一番印象に残ったのはここ。

みんな自分のやっていることがわかっていないと仮定すること。多くの人は何かを試みることを避けるが、それはそのことについて十分に知らないと感じるためか、自分の考えつくようなことは誰かがすでに試しているだろうと思うためだ。物事を正しくやる方法について何かアイデアを持っている人というのはごくわずかで、新しいことを実際試みる人となるとさらに少ない。だから何かについて最善の努力をするなら、 結構うまくいくものなのだ。

そう、ほとんどの人は自分がなにをやってるか分かってない。 自分の行為の結果を予想できない。 できても、それは大抵はずれる。

にもかかわらず、分かっていると思いこむことに問題があるのだ。

しかし、逆に考えてみよう。他の人がほとんど現実を認めることができていないのだとすると、 現実を認めるだけで、あなたはまわりの人よりも 大きな一歩を踏み出していることになる。

Aaronの言いたかったことはそういうことなんだと思う。


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