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Matzにっき


2006年09月17日 [長年日記]

_ バーバルとノンバーバル

教会ではいろいろな方の貴重な話が聞けたが、 そこに交じって私も話す必要があった。

その時にはかならずしも十分に伝えられたとは思えないのだが、 伝えたかったことを(宗教色を薄めて)再度まとめてみる。

前提

バーバルコミュニケーションとは言葉によるコミュニケーションである。 話すとか書くとか、そんなの。対するノンバーバルコミュニケーションは、 言葉によらないコミュニケーションね。

伝わらないノンバーバルコミュニケーション

「子供は親の背中を見て育つ」とか「男は背中で語る」とかいうのは ノンバーバルコミュニケーションである。なんかカッコいいけど、 実際にはノンバーバルコミュニケーションはえらく効率が悪い。 業界的な表現をすると大域幅帯域幅が狭い。

ノンバーバルコミュニケーションでは、伝えたいことが そもそも伝わらないことも多いし、たとえなんらかの情報が伝わったとしても 本人が意図している通りに伝わることはまれで、むしろ大幅にノイズが入っていると 考える方が自然だ。コミュニケーションに、そういう品質の低いチャネルを使っていると、 誤解、行き違い、不満などは頻発する。

幸せな生活のためには伝えたいことはちゃんと言葉にして伝えよう。 ここでの原則は「言わないことは伝わらない」である。

少ないが重いノンバーバルコミュニケーション

では、ノンバーバルコミュニケーションは役に立たないか、というと全然そんなことはない。

帯域幅が狭いということは伝送できる情報が少ないということだが、 それそのものはチャネルの性質で問題ではない。 問題はノンバーバルコミュニケーションでバーバルコミュニケーションと同等の情報量を伝達しようというところにあるのだ。それは無理な相談である。

私の知人の調べによると、両親との折り合いが悪い子供の大半が持つ不満は 親の言ってること(バーバル)と実際の態度(ノンバーバル)が食い違っていることなのだそうだ。 別に知人はまじめに統計をとったわけではないが、話半分としても共感できる。

人間は嘘をつく。言葉で嘘をつくのは非常に簡単だ。 悪意のある嘘以外にも「建前と本音」のような嘘もある。

一方、言葉を使わない嘘は、不可能ではないものの、言葉の嘘よりもずっと難しい。 そのせいか、言動不一致があると、態度によって示されるものの方が受け入れるものらしい。 ああ、本当はそう思ってるんだな、と。

ノンバーバルコミュニケーションは少ない情報しか伝えることができないが、 伝わる少ない情報には大変大きな意味がある。 つまり、伝わった情報はバーバルコミュニケーションによる情報よりも「重い」と言える。

ここでの原則は「言行一致重要」である。

まとめ

「言葉で伝え、態度で追認する」。子育てにあっても、人に接するにあたっても そういう生き方で望みたいものだ(まだ、できてないけど)。


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