朝一番の飛行機で東京へ。帰りは最終便が満席で予約できず、4時の便。
羽田から東大へ移動。浜松町、御徒町、本郷三丁目。
東大の構内で迷う。安田講堂を回り込んだところで、 後ろが弧を描いていることに気がつかず、行きすぎてしまったのだ。 「建物は四角」という思い込みがいかに強いかを痛感する。
引き返して、米澤先生の教室へ。
しばらくは米澤先生と昔話に興じる。 しかし、自分が勉強した教科書の著者の人と親しく話す機会があるというのは 感動ものかもしれない。LispやらSmalltalkやらActorやら、 めずらしい話を含めていろいろと。Alan Kayは最近丸くなったよね、 Turing賞や京都賞など、世間的に評価されたのと関係あるかも、とか。 Alanの印象は、米澤先生がかつてHewittのところの学生だったこととも関係あるかも。
あと、前回のGuy Steeleの講演資料もいただく。 うーん、Fortressかあ。使いやすいのかなあ。 自分自身が想定されるユーザ(科学技術計算関係者)ではないので、 なかなか判断できないな。
で、昼食後、たいそう立派な小柴ホールで講演させていただく。
先週の岡山の話に近いが、こっちはちょっと魔法風味。
スライドはこちら。
今度は優しすぎたようだ。聴衆のレベルを甘く見ていたか。
私:「Haskell難しいですから」
「ええっ?」
とか。
全般に、いろいろな人の発言の端々に最高学府の自負が感じられた。 それは良いことだと思う。「普通の人」にリーチするかどうかはともかく。
その自負にあやかるべく、大学生協で東大グッズを買って帰った。 ノートとシャーペン。なんてミーハー、と自分でも思ったが、 家族には思いのほか好評であった。類は友を呼ぶ、というか、似た者家族というか。
あと、スライド中(42ページ目)の「LispからSmalltalk、SmalltalkからRubyまで」の年数に sumimさんからツッコミがあった。
すから LISP 誕生から Smalltalk 誕生までは 14 年から 15 年とするのが順当でしょうね。ぜんぜん関係ないですが、Ruby の誕生日は 1993 年 2 月 24 日だそうですから、LISP からは約 35 年、Smalltalk からは切りのいいところで約 20 年とするのが妥当なようです。なんにせよ、Smalltalk-80 が 1981 年に Byte 誌に発表された時点にはもう、すでに“死んだ言語”だったわけですから(超新星みたいやね…w)、これを起点にする手はありません。
だそうで。言語の誕生をどこに置くかは難しいところではあるが(普通Smalltalkと形容詞なしで読んだ場合Smalltalk-80を指すと思うし)、ま、少なくともあのページの内容は不正確、だということで、ひとつヨロシク。
いや、他のページも与太ばかりだけど。
講演終了後、いろんな人と話す機会があった。 ほんとうはもっともっと話したかったのだが、飛行機の時間に余裕がなかったので 駆け足で話すことになってしまった。申し訳ない。
最後に米澤先生から某大手インターネット企業CTOの人を紹介してもらい、 お話をする。PHPとJava半々くらいでやっていて、 近い将来ラボを開設して先進的なことをやりたいが、そこにRubyも考えている、とか。 また、大手ならではのスケーラビリティーに関する貴重な話も聞かせてもらった。
今回は羽田までタクシーで送ってもらって(豪気な)、その中での話だったのだが、 次の約束をとって、もうちょっと情報交換することにした。
なんか最近風が吹いているよね。