引き続き、日経Linuxの原稿書き。
しかし、パフォーマンスチューニングは奥が深い。 「これが有効そうだ」と思っても実はボトルネックはそこではなかったり、 あるいは「こうすると速くなる」と思っても、実は別の因子の影響が大きくてあまり改善されなかったり、 逆に「これではうまくいかないケースがある」と思っても、 うまくいかないはずのケースでもうまくいったり。
要するに先入観とか予断とかは禁物で、 データに基づいて判断しなさいってことなのだろう。 しかし、マシンが変わればデータも変わるという。
それでもちょっとしか改善で処理速度が数千分の一になったりすることがあるから、 やめられなくなるプログラマは多いんだよな。
インタフェースに「権利保護」を許す法案。最低の改悪だ。
どこの世界にアクセルとブレーキの順番が違う車に載りたがる人がいるのだろうか。 そのような「工夫」を強制する法案には反対する。