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作者のオーソン・スコット・カードはうちの教会の会員だ。 以前から知ってはいたが、実は彼のほかの著書は読んだことがない。 『4150107467』、『41501088464150108854』など有名なのに。 私のSF離れはかなり深刻だったらしい。
以前に高橋(maki)さんからいただいた本を帰りの飛行機の中で読み返した。 前にも少し書いたが、この本は私にとって特別な本となった。
なにが特別かというと、まず第一に主人公の立場が私に相当近いことだ。
で、物語ではその家族の日常が丹念に描かれる。
他の人がどう読むかはわからないが、私にとってはごく細かいところまで共感できる日常だ。 そこに(あまり自分の内面を出さない)私なら他人には絶対に語らないような心理描写が織り込まれる。 本質とは関係ないが1983年頃のコンピュータ事情というのも懐かしい。
だから、この本は、時間や国こそ違うものの内面的には私のコピーについて語っているように感じてしまった。 自分の内面が、まったくの第三者によって描写できるほど普遍的なものであった ということに正直驚きを感じる。
この本のほとんどの部分はそうした日常の描写だ。 「消えた少年たち」というタイトルに表現される、ごくわずかな「非日常」はラストになるまで発展しない。 この日常に共感できない人はこの本をどう読むのだろう。
読んだ後は「消えてしまった少年たち」に対する切なさ、失われてしまった家族への思いが残った。 私自身も家族を失った経験があるだけにその切なさは一層である。 「悲しさ」ではなく「切なさ」。「絶望」ではなく「喪失感」。
また会える、そう堅く信じていても喪失感と切なさは消えないものだ。
ストーリーの流れはスティーブン・キングを思い出させるような気がするが、 考えてみると私はキングの本はまだ一冊も読んでいないのだった。
*1 うちの教会(末日聖徒イエス・キリスト教会、通称モルモン教会)の会員は自分たちのことをよく「末日聖徒」と呼ぶ。
教会からの勧めもあって、月曜の夜には家族全員が集まって「家庭の夕べ」と呼ばれる集まりをしている。
まだ子供は小さいと言っても、学校の宿題やら見たいテレビやら、それぞれ勝手にやりたいことがあるので、 なかなか全員揃うのは難しいので、良い機会ではある。 もっともうちの場合はそれとは別に朝食と夕食はできる限り一緒に食べるというルールもあるのだが。
今日は息子が昨日教会で聞いた話を紹介してくれた。「贖い」について勉強したのだそうだ。
それから、アメリカで買ってきた「Panda Monium」なるカードゲームで遊んだ。 対象年齢6歳以上と書いてあったのだが、息子にはちょっと難しかったようだ。 少々訓練が必要かも。