今日から休みをとって(というか、会社に行かない宣言をして)、 妻の実家である山口に移動。
私の実家も、今住んでるアパートも、妻の実家もみんな国道9号線から少し入ったところにある。 もっともそれぞれの距離は相当離れているのだが。
というわけで、傷がついたままの車に家族を詰め込んで山口まで移動。 はしゃぐ子供たちがうるさい。
寄り道をしたので実に7時間近くかかって山口につく。3分の1は妻が運転したのだが、 私の方がすっかり疲れてしまって、ついたそうそう居眠りをしてしまう。 いや、ゆうべ3時までIA64でのデバッグをしていたのがいけないんだけど。
で、途中での寄り道と言うのが、 「浜田市世界こども美術館」で 開催中の「トリック×トリック」展である。 これは江戸の遊び絵とM.C.エッシャーの作品展示である(8月31日まで)。
私は元々エッシャーの絵が好きなので(「上昇と下降」とか)、これが目当てだったのだが、 江戸の遊び絵もそれなりに面白かった。
印象深かったのは、この解説。
このようなエピソードを聞くと、エッシャーが大の数学好きだったのだろうと想像してしまいますが、 実はその反対で、まるっきりの素人でした。その証拠に、ある学者がエッシャーの版画に使われている 法則について話をしても、エッシャーには全く理解できなったといいます。
信じられないことに、エッシャーのほとんどすべての作品に見られる数学の法則は、 エッシャーが制作をしながら自然と身につけたものだったのです
「トリック×トリック」ガイドブックより
数学苦手の私としては、大変に勇気づけられる言葉である。
妻: 自分をエッシャーと同一視してる? 私: いや、そこまでは...でも、ちょっとね。
妻が以前映画館でもらってきたチラシを見る限りでは、
ヴァチカンの密命を受けたモンスター・ハンター、ヴァン・ヘルシング卿。
ヴァチカンのメカおたく=カール、モンスターと戦う美女=アナ王女、 創造主をドラキュラに殺され復讐を誓う怪物=フランケンシュタイン(の怪物)を引き連れ、 世界征服の野望を企むドラキュラ伯爵に戦いを挑む。
そこに狼男化して理性を失いつつあるアナ王女の兄、ドラキュラの花嫁たちがからんでアクション三昧
とかいうような映画らしい。難しく考えなくていい映画大好きの私としては、見逃せない。 映画館に行く時間が取れるかどうかは分からないけど。
しかし、しかし、だ。この映画について考える時に、 なぜだか私の脳裏に「イケてない」なにかがよぎるのだ。
ドラキュラ、フランケン、狼男....。
はた、と気がついた。
これは怪物くんではないか、と。
昨日から妻の実家にいるのだが、このうちには当然のようにネットワーク回線はない。 で、やむなく日本高速通信のB-mobileを利用しているのだが、 私のカードは経済的事情から32Kのシングルリンクである。 もっともこの家からは基地局が一つしか見えないから、マルチリンクでも変わらないのだが。
そうすると、普段利用しているGmailは利用しにくい。 とはいえ、cmailは溜め込んだメールが多すぎてパンク状態に近い。
となると、メールオーガナイザーを実装するしかないか、と開発の動機づけになるのであった。 おかげでバックエンドのバグがずいぶん取れた。コマンドラインでメールの一覧を取得したり、 メールを読んだりできるようになった。まだ、MIME対応とかしてないし(semiに任せようと思っているので)、 返事も書けないんだけど。
とはいえ、一応休暇中なので、あまりコンピュータにかまけていると家族の不評を買うし、 なによりLinux Magazineの原稿の〆切も控えているのだ。あまり時間を浪費できない。
わかって...いる...んだけれども。
アメリカに行く前にさんざん悩んだlambdaの「->」記法だが、 Haskell方面には不評だが、このままでいこうと思う。 Perl6と同じなのもプラスだが、無名関数を簡潔な記法で提供できることは後々にメリットが大きいと思えるからだ。もっとも、以下の点はまだ議論の余地があると思う。
記号。
「LAMBDA args { ... }」という構文は決まりでも、 LAMBDAの部分になにが入るかはまだ変更できると思う。 でも「->」以上に私の心に響くものにはまだ出会っていない。
ブロック
現在「ary.each -> x {puts x}」は「eachにlambdaを引数として渡す」ではなく、 「eachにブロックを渡す」ように動作する。ここもPerl6に合わせているわけだが、 この部分についてはあまり合わせる必然性はないようにも感じる。 例外なしに「->x{...}」はいつもlambdaにした方が単純でよいかもしれない。
あと、中田さんの<URL:http://www.rubyist.net/~nobu/t/20050805.html>を参考にして、 「->」の後ろに括弧を省略したときでもオプショナル引数を指定できるようにした。
山口にいるあいだはネットアクセスがなく、メールの読み書きができないので、 この機会にmorq(のデータベースを)メンテする。 全文検索エンジンをHyperEstraierにしたのだが、 その時にほかのデータベースを壊してしまったのだ。
また、バグもいくつか見つけてしまった。 いままで「なんか変だな」と思っても放置してたんだけど、 ちゃんと調べたらやっぱりバグだった。
しかし、H.E.に満足というワケではない。
良い点
悪い点
予定されている(はずの)Rastの性能改善が実現されたら、 またRastに戻るかも。 H.E.に負けない登録速度とDBサイズはかなり難しいチャレンジではあるのだが。
とても久しぶりの山口支部。 懐かしい顔も見れた。
もっともお盆というせいもあって、 「今日はいない」という人もそれなりにいて その点は残念であった。
青少年とかうちの子たちしかいなかったし。
次にくるのはいつになるかなあ。
1970年代にエジプトで発見されたグノーシス派の写本が 数奇な運命を経て世に公開されるまでを追ったドキュメンタリー。
しばらく前にネットで宣伝を見かけて、読みたいなと思ってはいたものの、 それだけのためにナショナルジオグラフィックを購読する気にもなれず 放置していたものを、先日、松江市立図書館で見つけて借りてきたのだった。
せっかく帰省中で時間があるので一気に読んだ。
で、感想だが、私としてはもうちょっとユダの福音書の中身についての 情報が欲しかったなあ、というもの。もちろん、現代において ユダの福音書がどのように扱われてきたかという点もドラマティックで 一般の読者にはそっちの方がウケるのかもしれないけど。
で、少しだけの情報から得られる内容からみると センセーショナルな宣伝文句の割にキリスト教の教義に与える影響は ほとんど(ぜんぜん)ないだろうな、と思った。
ただ、イスカリオテのユダの行為の後ろにある動機は、 正典(カノン)にはほとんど記載されていないが、 それなりにいろいろあっただろうな、とは以前から思っていたので、 信憑性はともかく「救い主の使命を達成するため」という動機は理解できる。
個人的には一番受け入れやすいのは、映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』で 示されていた「窮地に追い込めば、自らを救うと同時にイスラエルを解放してくれるのではないか」という動機だけど。