今日は長男の入学式だ。1年1組だそうだ。 保育園以来の親友と同じクラスだったようで、めでたしめでたし。 桜吹雪の中での入学式であった。
思えば私も1年1組であった。もっともあっちは1学年5クラスもあったので、 下手するとそれだけで息子の小学校の全校生徒に近い人数がいたのだが。
いやあ、やっと保育園の送り迎えから解放される。 月曜日からはお姉ちゃんと一緒に自分の足で学校に行ってくれる。 当たり前のようだが、ありがたいことだ。 成長したものだなあ。
午前中、花見をしたいと思っていたがすっかり寝坊してしまったので断念。
午後からは先週ユタで行われた教会の総大会のビデオを見る。 良い説教をたくさん聞いたのは良いのだが、いくら途中休憩があると言っても 3本6時間は長い。お尻が痛くなっちゃった。
夕食後、家族総出で玉湯川の桜を見に出かける。夜桜もなかなか良いものだ。
関西Rubyで知る人ぞ知るCuzicさんの尊敬するキリスト教徒は、
なんだそうだ。私なんぞが「尊敬するキリスト教徒」に入ってていいのかってことは おいといて、ジム・スキナーと私は20年ほど前に同じ教会に集っていた。 まだ私が大学生のころだ。 当時はただの「日本語のメチャメチャうまい外人」だったのだが、 「7つの習慣」の裏表紙かなんかに写真が載っててびっくりしたのを覚えている。
出世したもんだなあ。
学校は始業式。 息子は元気に出かけたが、 長女、次女は初日から欠席。 前途多難である。
「マイクロソフトは死んだ」。
まあ、世界最大のソフトウェア会社は簡単なことで潰れたりしないし、 それはPaulも認識しているだろう。このエッセイの中で言及されてるIBMも 潰れてはいないし。だから、 より正確に言えば「マイクロソフトはもう恐くない」。
しばらく前に丸山先生レクチャーシリーズに顔出した時に 印象的だったことがある。 マイクロソフトの人が彼らのガジェットについて解説していて、 他のデスクトップガジェット(OSXのとか、Yahooのとか)との違いについて 語った時の言葉。
それはインストールベースです。 Vistaにはすべてガジェット機能がインストールされます。 この数については他のガジェットには真似できません。
正確な言葉ではないけど、こんな感じ。
彼は数の論理についてよく理解していて、 限りなく「マイクロソフト的」だと思った。 「ブラウザの外」ではまだこの論理は有効である。
正式にページが公開になった。楽しみなことである。
Ruby on Railsを使ったからといって、 それは定型的なコストが下がるだけであって 作業の本質が減るわけではない。 必要以上の期待(幻想)を抱いてしまうと、「炎上」することになる、という話。
ま、当たり前といえば当たり前だけど、 Rubyについても、Railsについても幻想ではなく 実物大のメリットを享受していただければと思う。
JavaScriptはスコープの制御が関数レベルでしかできないから、 グローバル変数を導入しないためには「ちょっとしたテクニック」が必要、という話。
ま、もっともな話ではあるのだが、 こんな簡単なことが簡単にできない言語は、少なくともユーザに優しい言語ではないと思う。
レコード(CD)業界がいかに「愚かな」選択を積み重ねてきたかということと、 日本では着うたフルのおかげでDRMフリー化は遠そう、という話。
いずれにしてもなんらかのDRMが導入された時点で 我々「Linuxユーザは切り捨て」と同義だよね。 少数派を切り捨てるのはビジネスとしては当然の選択だが、 切り捨てられる方は穏やかではない。
私は、諸君の中の少数派に呼びかけている!
少数派の諸君!今こそ団結し、立ち上がらなければならない!
奴ら多数派はやりたい放題だ!
我々少数派が、いよいよもって生きにくい 世の中が作られようとしている!私は、この国の、少数派に対する迫害にもう我慢ならない!
少数派の諸君!多数派を説得することなど出来ない!
奴ら多数派は、我々少数派の声に耳を傾けることはない!
自由は無料では手に入らないということか。
「1日4時間」でもすごいけど、この人の場合には「1週間に4時間」。おそるべし。
要するにパレートの法則(80:20則)を徹底して、効果の高い20%に集中したら それくらいでも済んだということ。
実際に自分の仕事から無駄をなくしたら、 1週間に4時間は極端だとしても、かなり実働時間は減らせるかもしれない。
自分の生活に対するハックを怠らない私も、 日々の精進を積み重ねた結果、 最近ではコーディング時間が1週間に4時間を切るようになった。 その他の時間は、ブログを読んだり、メールを書いたり、 原稿を書いたり、原稿を書いたりしている。
ちっとも生活が楽になった気がしない。 もっとコードが書きたい。