次女とその友人とを連れてスケートに。
ほぼ一年ぶりになるので、滑り方を忘れている。 しばらくすると少しはマシになったものの、姿勢が安定せず、 自分で「下手くそだなあ」とあきれる。
娘の友人はスケートははじめてということで、 最初は手すりを磨いていたが、しばらくすると滑れるようになっていた。 なかなかの順応能力。
帰るまぎわ、ふざけていたら思いっきり前方に転倒。はずかしい。 さらに肋骨が痛い。ひびが入ってたりして。
くっぱさんからコメントとそのフォローをいただきました。
再度要約すると、
ということだそうです。
同意できる部分もあるのですが、結論には同意できません。
まず、(1)には一部共感できる部分はあるものの、完全には同意できません。 「オープン」という単語に「オープンにされたものを自己責任のもとでどのように利用してもかまわない」というライセンス上の基本前提があるというのは、面白い考えだと思います。 確かに「オープン」という言葉の使い方のうち、いくつか(多く?)はそのような考えで説明できそうです。 しかし、逆に言うと私は指摘されるまでそういう風に認識していなかったわけで、 それが「オープンという言葉が持つ基本概念である」とまでは言えないんじゃないでしょうか。 「全米オープン」とか「オープンカー」とか「オープンサンドイッチ」とか、 かならずしもその概念で説明できそうにありませんし。 IT分野に限定しても「オープンアーキテクチャ」、「オープンシステム」、「オープンスタンダード」、「オープンオフィス(OpenOffice.org)」、「オープンウィンドウ(OpenWindow)」、「オープン・クローズの原則(Open-close principle) by B. Meyer」などがすべて上記概念を満たしていると断言するのは難しいでしょう。 一時期(10年以上前?)、この分野で「オープンなんとか」は流行語のように多用されましたし。
さらに言えば、 合成語である「オープンソース」における「オープン」という単語の使い方が、 「オープン」の意味を「根底から変更するよう迫る」ほどインパクトがあるような気はしません。 推測するに「オープンサンドイッチ」のインパクトと同程度*1ではないかと。
その次の(2)については、「OSDのオープンは上記の概念を逸脱している」という点では同意します。 OSDは「どうぞご自由に」という印象を与えるためには条件が多すぎます。 もっとも、それは「オープンの仕方」を指南していると解釈すべきなのかもしれません。
最後の(3)は、その前提となる(1)に同意できませんから、同意はしません。
私の意見は、
というものです。
くっぱさんは「オープン」という言葉の「基本前提」と、 「オープンソース」という言葉が「オープン」に与えるインパクトの両方を、 私よりずっと大きく(おそらくは過大に)評価してらっしゃるように思います。
他にもさゆちゃんとかKLさんからツッコミをいただいています。
おじさんは仕事を頑張るのは嫌いなんですが、仕事は投げ出さないようにしようと思います > さゆちゃん
KLさんのツッコミは、また難解なんで(まあ真剣に考えてくださった証拠だと思いますが)、 後で時間をとって考察しようと思います。コメント入力欄のサイズについては調査してみます。
追記:
「「OpenStep」は「Open Source」を意識している可能性が大」などと書いたら、 「OpenStepの登場は、OpenSourceの定義よりも前ではありませんでした?」との ツッコミが。
ちょっと調べてみると、どうもそうらしい。 1993年かあ。そういえばそうだったか、最近記憶があいまいになってきて(いいわけ)。
*1 いや、「OpenOffice.org」や「OpenStep」は「Open Source」を意識している可能性が大なので、もうちょっと大きいかもしれないけど